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北区には六所社という名の神社があちこちにある。上飯田の神社も元は六所社だったが、昭和の終わり頃に六所宮へと改称した。多くの境内社があるが、それと共に太平洋戦争にかかわる遺物も多い神社である。国旗掲揚塔や赤心富士といった、一路戦争に邁進していた時代の空気を今に伝える、貴重な歴史遺産が残されている。 |
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![]() 拝 殿 |
![]() 天 満 宮 |
![]() 境 内 社 |
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![]() 花を浮かべた手水鉢 |
![]() 花をくわえた狛犬 |
![]() 菅島からの石 |
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赤心富士と少年少女日参団 |
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| ◇赤心富士 南の鳥居から境内に入ると、すぐ左に「赤心富士」と書かれた石柱が建っている。脇に「松井大将書」とある。名古屋出身の陸軍大将松井石根の揮毫したものだ。その後ろには富士山風の形をした石が建てられ、それには細かな字がたくさん彫られている。 歳月を経て読みにくくなっている所もあり下部は地中に埋まっているが、何とか判読できる所を拾ってみた。 |
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| 建設之由来 昭和拾弐年七月七日盧溝橋ニ端ヲ発シ新東亜建設ト云フ一大聖・・・ 的ヲ達成センガ為メニ支那事変ガ始リマシタ 皇軍ノ将士ハ御召シニ応ジ我ガ上飯田カラモ大勢勇躍出征・・・ 君国ノ為メニ一身一家ヲ顧ズ御盡シ下サイマス勇士ノ皆様ガ御・・・ 御樹テ下サイマスヤウニ少年少女日参団ヲ組織シ爾来春風秋・・・ 欠カスコトナク団員ハ毎日一人ガ一個ヅツノ小石ヲ六所社ノ神前・・・ 精魂ヲ打込ンデ御武運ノ長久ヲ祈ッテ参リマシタ 今此ノ石ヲ以テ興亜ノ瑞祥トシテ霊峰冨士ヲ型リ一ハ武運長久祈・・・ 記念トシ一ハ「塵モ積レバ山トナル」ト云フ訓ヲモ知ラセ人ヲシテ・・ 打タセシムルモノヲ感ゼシムルコトガ出来マスレバ幸甚ニ存ジマス 茲ニ之ヲ永久に伝ヘンガタメ吾人ノ微意ヲ現シテ建設ノ辞トシマ・・・ 昭和拾五年四月 上飯田少年少女日参団 南上飯田少年少女日参団 西上飯田少年少女日参団 新堀町少年少女日参団 盧溝橋事件を契機に日中戦争が始まると、国民の戦意を高めるためさまざまは方策が採られたが、その一つが少年少女日参団だ。子どもたちが毎日集団で神社を参拝し、戦争の勝利やその町から出征した若者の武運長久を祈るという行事である。上飯田では、参拝する時に小石を持って行き、それを神前に積み上げて富士山のようにした。そのことを記したのがこの石碑である。 太平洋戦争で、六所宮はすべて灰塵に帰してしまった。しかし皮肉にも、赤心富士、国旗掲揚塔という戦時をうかがわせる物は残ってしまった。 この神社にたたずむだけでも日本の歴史をたどることができる。富士山が世界遺産に登録された。霊峰富士は武運長久を祈るものではなく平和の象徴として広く親しまれて欲しいと思う。 なお、これまで私が訪問した神社で日参団に関係した石造物は、六所宮のほかに次のものがある。 ・鹽竈神社(中川区) 「献木 支那事変日参壹週年記念 日置通二丁目第八組赤誠健児団」碑(昭和14年建立) ・紀左衛門神社(南区) 「全名古屋市日参 少年少女日参団 結成記念樹」碑(昭和13年建立) ・白山神社(東区) 「支那事変記念」幟建て石(昭和15年建立) |
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| ◇絵葉書などで見る少年少女日参団 ・「高岳二丁目少年少女団」 冨士神社参拝風景が絵葉書になっている。幼稚園から小学生ぐらいの年頃の子どもたち27人が、先に旗が付いた棒を手にしている。旗には「祈武運長久 ○○君」書かれているが、名前はすべて異なっている。高岳二丁目という狭い区域からだけでも、これほど多くの若者が戦場に投入されていたのだ。大人は女が1人と男が7人付き添っている。男は軍隊風の帽子や服を着ているが、その格好が似合わない年配者ばかりだ。若者は戦場に、銃後は年寄と女と子どもばかりという状態である。 |
![]() 幼稚園児ぐらいの子どもも日参 |
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| ・「日置通」二丁目第八組 赤誠健児団」 塩竈神社(現:中川区)参拝風景が4枚の組絵葉書になっている。 日参に向かう風景、神社で子どもの代表が祝詞を奏上している風景、宮城(皇居)遙拝などを済ませて境内から出てくる風景、境内の忠魂碑前の桜六輪が10月に花開いた風景である。男の子は坊主刈り、女の子はおかっぱ頭、付添の女性が掛けるタスキには「大日本国防婦人会」の文字があり、昭和13年の風景だ。この年の5月には国家総動員法が施行されている。 |
![]() 整列して参拝に |
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![]() 子どもの代表が神前で祝詞奏上 |
![]() 整列して帰宅 |
![]() 忠魂碑前の桜が、十月に開花 → 戦勝の瑞兆? |
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