この神社は、紀左衛門新田が開発された江戸時代の創建だが、境内社には平成になり勧請されたのもある。近年に新たに勧請された神社は珍しい。 広い境内にはいくつもの記念碑があり、この地域が歩んできた歴史を今に伝えている。 |
江戸時代の神社と近年招聘の神社 | 歴史を伝える さまざまな碑 |
◇紀南橋親柱 参道の両側に紀南橋の親柱が2基保存されている。1基には「紀南橋」、もう1基には「大正5年」の文字が見られ、由緒碑が添えられているる。 この橋は、紀左衛門新田の排水路に架かっていた橋で、現在の中京病院西付近にあったが、昭和50年(1975)に堀川沿い道路の工事で取り外されたものである。 |
昭和30年 『港区全図』 |
◇名古屋城再建記念碑 参道左手に名古屋城再建記念之碑がある。 碑石は、昭和30年(1955)に堀川を浚渫していたところ、白鳥橋付近の川中から出てきた石で、ちょうど名古屋城が再建されたときなのでその記念碑にしたという。碑の裏面を見ると、切り出すときに彫られた矢のくぼみが見られる。 建立されたのは昭和34年(1959)10月1日となっている。5日前の9月26日に伊勢湾台風が来襲しこのあたりは大きな被害を受けているので、実際に建てられたのは少し後のことかもしれない。 |
◇鎮魂碑 その奥に明治百年を記念して昭和43年(1968)に建てられた鎮魂碑がある。 裏面には戦死者51名、戦災死者9名、災害死者4名の氏名が刻まれている。災害死者は伊勢湾台風で亡くなられた方であろう。それに比べて戦死者や戦災死者の数が非常に多い。 戦争がいかに多くの犠牲を生むのか、如実に示している歴史資料である。 |
2023/10/13 |
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