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◇尾張六大用水の一つ
庄内用水は庄内川から取水し、現在の名古屋の西半分の広大な地域を灌漑していた。
江戸時代の本『古今卍庫』には、尾張の六大用水の一つとして「稲生杁」の名前で載せられており、杁(川から用水への取水口)は3腹(か所)、井高は33,632石と記録されている。
◇南部の干拓新田まで灌漑
用水の支川には、東井筋(江川)、米野井筋、中井筋、稲葉地井筋があり、これらの支川からさらに枝分かれした大小の水路が網の目のようにめぐらされ、田をうるおした余り水は荒子川や笈瀬川へ流れ込んでいた。
明治37年(1904)には北・西・中村・中川・熱田・港区の3,908㏊もの美田をうるおしていたが、都市化とともに東井筋と米野井筋は埋め立てられ、今では中井筋と稲葉地井筋により流域にわずかに残る77㏊の田に利用されている。 |

『庄内用水灌漑区域図』 大正6~10年頃 |