◆昭和3年(1928) |
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8月 |
・灌漑区域内に、名古屋市西区名塚耕地整理組合が設立される。 |
◆昭和5年(1930) |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、2,967町歩(2,942.67ha) |
◆昭和9年(1934) |
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5月21日 |
・灌漑区域内の中川西土地区画整理組合で、1区(東大手)の換地処分が行われる |
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6月29日 |
・灌漑区域内に、児玉町土地区画整理組合が設立される
西区児玉町の地主83名は、市の工業発展を見込んで、児玉町土地区画整理組合をつくる。 |
◆昭和11年(1936) |
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9月18日 |
・児玉町で小作争議が起きる
西区児玉町で、児玉町土地区画整理組合による離農問題を原因として、小作争議が起きる。離農に対する保証金額が原因。昭和11年12月15日解決。 |
◆昭和14年(1939) |
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10月 |
・木曽川から堀川への浄化用水の導水実験が行われる
堀川、新堀川の水質が悪化してきた為、木曽川の水を木津用水・新木津用水・庄内用水(守山区内)・黒川などを利用して導水し浄化する実験が行われる。
(この試験は、昭和16年まで毎年2月・5月・8月・10月・随時の5回実施。堀川・お堀・船附ポンプ所経由で新堀川へ流注) |
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この年度 |
・矢田川伏越樋の修繕工事を実施。
○内容 河床の低下により樋管の背部が露出したため床止工
(長さ55m、巾2m)
樋管の底の人造石目地の練土が流出したため、モルタルで充填
○工費 1,900円
・庄内用水の杁守は10名。杁守手当ての合計は231円50銭 |
◆昭和19年(1944) |
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この年 |
・庄内用水頭首工の建設計画
従来、庄内川からの取水の為、木柵堰により水位を堰き上げていたが、庄内川の河床が流水で年々低下するため、毎年多額の復旧費が必要であった。このため、恒久的な堰(頭首工)の建設が計画されたが、第二次世界大戦中のため着手できなかった。 |
◆昭和21年(1946) |
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12月 |
・庄内用水の一部を管理移管(名古屋市→名古屋市用悪水普通水利組合)
中川区、港区内の庄内用水の管理は、名古屋市から新たに設立された名古屋市荒子川用悪水普通水利組合に引き継がれる。
組合長は名古屋市長が就任。両区内での灌漑面積は2,450町歩(2,429.91ha) |
◆昭和22年(1947) |
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夏 |
・明治9年以来の大干ばつになる |
◆昭和23年(1948) |
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6月14日 |
・庄内用水配水係員規程施行(告示第86号)(復興局水利課が事務を担当)
○内容
庄内用水路、及び柳瀬川(荒子川上流部)、荒子川における灌漑用水・ 配水の適正を図るため配水係員8人を置く
係員は、農業者の推薦を受けたものについて、市長が委嘱する
係員は、杁・立切や配水時間割などについて、市長の諮問に応じ意見を述べる |
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この年 |
・庄内川の流量が不足するときの庄内用水の通水量増加対策として下記の事業を実施
○守山市(現:守山区)に井戸掘削
元杁樋門下流の庄内用水左岸近くに直径6m深さ8mの井戸を掘り、ポンプで用水に汲みあげる
○新三菱重工内の井戸からの補給
中村区岩塚町内にある新三菱重工の井戸から用水へ補給。稲葉地井筋の中村区岩塚町より下流の補給対策。
○庄内川伏流水の取水
中村区岩塚町字宮前に、庄内川の伏流水を取水する施設を設置。 |
◆昭和24年(1949) |
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3月 |
・名古屋市西区名塚耕地整理組合が解散される |
◆昭和25年(1950) |
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9月 |
・名古屋市荒子川用悪水普通水利組合の区域拡大
名古屋市荒子川用悪水普通水利組合の区域に、中村区・西区・北区・熱田区が加えられる。灌漑面積は、3,800町歩(3,770ha) |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、1,972ha
・土地改良法の公布 |
◆昭和26年(1951) |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、耕地25,382反歩(2,517.89ha)
〔内、田19724.5反歩(1,956.67ha)〕 |
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この年度 |
・庄内用水頭首工の建設事業に着手
昭和19年に計画された庄内川への頭首工設置事業に着手 |
◆昭和27年(1952) |
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1月25日 |
・庄内用水頭首工工事に関して河川占用が許可。あわせて従来の慣行水利権が法定水利権に変わる
庄内川への頭首工設置工事に伴い、当時、庄内川を管理していた愛知県知事から農業用水管理者としての愛知県知事に、庄内川筋流水使用(法定水利権)、並びに川敷堤防占用、および工作物設置が許可される。
○占用面積 川敷 5,975坪2合8勺 、堤防 1,452坪
○使用水量 200立方尺(5.4㌧)/秒 、通年取水権(従来の慣行水利権から法定水利権に変わる)
○許可期限 許可日から昭和37年3月31日
○許可条件 本地点到達流量の5分の1を責任放流
(下流での取水や河川環境維持の為、庄内川が渇水のときは水利権量が200立方尺といえども全量を取水できるのではなく、庄内川流量の5分の1は必ず下流に放流する)
○工事施工期限 昭和29年3月31日。
○条件 将来施設一切を名古屋市に移管の時は、ただちに愛知県知事に届ける
○申請 昭和26年11月5日 |
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3月31日 |
・名古屋市普通水利組合の「土地改良事業(維持管理)計画書」が名古屋市普通水利組合組合会で議決される |
◆昭和27年(1952) |
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7月1日 |
・名古屋市土地改良区が設立され、庄内用水の管理が移管される |
◆昭和29年(1954) |
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3月 |
・県営荒子川用排水事業として、昭和26年度に着手した庄内用水頭首工が完成
○事業費 126,979,000円
(国:50% 県:25% 市:12.5% 改良区:12.5%を負担) |
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12月14日 |
・庄内用水頭首工の河川敷地占用の権利などを愛知県から名古屋市土地改良区に移転
灌漑用水取水堰堤設置および流水使用のための、河川敷地占使用・工作物設置許可により生じる権利義務を、愛知県から名古屋市土地改良区に移転することが、愛知県知事から許可される。
○内容 庄内川川敷(1780.84坪)および堤防敷(630.01坪)
○理由 この工作物を設置した土地および流水使用権、および地上物件など一切を譲渡したため、占使用の権利義務一切も移転した。
○申請 昭和29年11月1日付 |
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この年度 |
・庄内用水幹線の改修を、県営荒子川用排水改良事業として開始。昭和32年度完了 |
◆昭和30年(1955) |
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この年度 |
・庄内用水矢田川伏越樋の改築
矢田川の河床が流水の洗掘により年々下がり、庄内用水が矢田川を横断する為に設けられている伏越樋(川底の水路トンネル)の天端が川底から1.4m露出するようになった。流水の妨げになり、また老朽化してきたため、伏越樋を改築し、従来より1.5m下げるとともに断面を拡大する工事が、県営災害復旧工事として施行される。これにより、明治43年に設置された人造石の伏越樋はとり壊された。 |
◆昭和31年(1956) |
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5月10日 |
・西区内の庄内用水路の一部を暗渠化
西区枇杷島通にあった中央卸売市場枇杷島市場の拡充のため、市場構内を横断していた庄内用水路180mを暗渠にする工事が完了 |
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8月6日 |
・名古屋市土地改良区の事業を、即刻市に引き継いでほしい旨の請願書が、改良区から市会に出される。
〔理由〕
○市街地の拡大と農地の減少による経営の悪化
(組合費賦課対象耕地は1,117町歩に激減)
○荒子川ポンプ所などは、一般市民の排水処理や水害予防事業が主体になって来た
○荒子川運河計画などにより、農業の振興という改良区本来の使命が薄らいだ |
◆昭和32年(1957) |
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この年度 |
・昭和29年度から開始された県営荒子川用排水改良事業による庄内用水幹線の改修が完了
○事業費 43,114,000円
(国:50% 県:25% 市:15% 改良区:10%を負担) |
◆昭和33年(1958) |
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9月25日 |
・庄内用水から市工業用水への分水申請
名古屋市水道局長から名古屋市土地改良区理事長(大西泰助)へ、工業用水取水に関して、「庄内用水の分水並びに用水路使用許可申請書」が提出される。水量1.157㌧/秒 |
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10月16日 |
・庄内用水の市工業用水への分水について、名古屋市土地改良区が同意 |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、耕地16,160.3反歩(1,603.1ha)
(内、田12,287.2反歩(1,218.89ha)) |
◆昭和34年(1959) |
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1月24日 |
・庄内用水の一部区間が準用河川に認定される
庄内用水は、守山市大字瀬古字新堀地先で古川と合流していたが、この古川合流点から堀川分岐点まで(および堀川)は、準用河川に認定される。 |
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2月1日 |
・庄内用水の管理が名古屋市土地改良区から名古屋市に引き継がれ、土木局道路課水利係が担当 |
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2月2日 |
・県営荒子川用排水改良事業による工作物の管理権を、名古屋市土地改良区から名古屋市へ移転
従来、名古屋市土地改良区が管理していた県営荒子川用排水事業により造成した工作物の維持管理権の名古屋市への承継が、愛知県知事により承認される。
○申請 昭和34年1月26日 |
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3月1日 |
・名古屋市土地改良区の事業および財産が名古屋市に移管される |
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9月26日 |
・伊勢湾台風来襲
名古屋市内における被害は、死者・行方不明者1,851名、負傷者42,379名、流出家屋1,557戸、床上浸水34,883戸、床下浸水32,469戸にのぼった。また、愛知県内の堤防決壊は535か所となった。庄内用水灌漑地域でも、南部の埋め立て地などが大きな被害をうけた。 |
この頃 |
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・名古屋市土地改良区の概要
○受益面積 37,915反、
○組合費賦課対象面積 13,397反
○組合員:4,359人、総代:80人、理事:20人、監事:3人、事務局職員:10人 |
◆昭和35年(1960) |
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3月3日 |
・市長は、市水道局長に対し、市工業用水取水にともなう庄内用水の分水(1.157㌧/秒)、並びに用水路使用を承認 |
◆昭和37年(1962) |
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3月31日 |
・庄内用水の農業用水利権の名古屋市土地改良区から名古屋市への移転が知事により承認
農業用水利権の名古屋市土地改良区から名古屋市への移転が愛知県知事により承認される。なお、取水量は従来の5.4㌧/秒から、下記のような期別水利権になり、また減量された。
○水利権量
代掻期(6月15日~7月5日) 3.583㌧/秒
成育期(7月6日~8月31日) 3.236㌧/秒
その他の期間(4月1日~6月14日、9月1日~9月30日) 2.288㌧/秒
○期間 昭和27年4月1日~昭和37年3月31日
○申請 昭和35年3月1日 |
◆昭和38年(1963) |
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4月22日 |
・堀川浄化のため、庄内川から取水し庄内用水路(守山区内)を経由し堀川に試験通水する水利権が、愛知県知事から許可される。
取水量:10㌧/秒(日量最大864,000㌧)以内。ただし、庄内川枇杷島水位観測所において15㌧/秒以上のときのみ取水可能
期間:昭和38年4月22日~38年5月31日
(この水利権は、39年12月19日、41年4月1日、 43年7月10日に更新される) |
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5月2日 |
・堀川浄化のため、庄内川から試験通水開始(昭和50年まで実施) |
◆昭和40年(1965) |
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10月22日 |
・庄内用水の農業用水利権、および土地の占用・工作物の設置期間の更新が、愛知県知事から許可される。
○期間 昭和37年4月1日~42年3月31日 |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、737ha |
◆昭和42年(1967) |
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8月5日 |
・庄内用水の農業用水利権、および土地の占用期間の更新が、愛知県知事から許可される
○期間 昭和42年4月1日~47年3月31日 |
◆昭和43年(1968) |
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3月 |
・荒子川南部土地区画整理事業が完了 |
◆昭和44年(1969) |
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3月 |
・春日井市内の王子製紙の排水が、堀川や庄内用水などの水質を悪化させているため、工場に対し水質改善の要望を行う |
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3月31日 |
・庄内川から堀川への浄化用水導入について、河川管理者(愛知県知事)と名古屋市長との間に協定が締結される。
○最大導水量 10㌧/秒
ただし、枇杷島流量観測所地点における庄内川の流量が15㌧/秒を越える部分の範囲内において導入できるものであること。 |
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4月1日 |
・庄内川の庄内川橋より下流が国管理になる
(昭和49年に東谷橋より下流へ拡大し、その後も拡大される)) |
◆昭和45年(1970) |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、454.2ha |
◆昭和46年(1971) |
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6月24日 |
・水質汚濁防止法を施行 |
◆昭和47年(1972) |
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4月 |
・流況調整河川木曽川導水事業の実施計画調査に建設省が着手 |
◆昭和50年(1975) |
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この年 |
・庄内用水の灌漑面積は、150ha |
◆昭和53年(1978) |
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8月22日 |
・庄内用水の矢田川旧伏越樋管の占用廃止届
下水道局の三階橋ポンプ所の建設にともない、矢田川の伏越樋管が改築され、これにともない従来の樋管の占用廃止届が市長から建設省に出される。なお、旧樋管の低水路部分は、新設樋管の保護施設として残され、市下水道局に移管。
また、樋管は従来は庄内用水と堀川の兼用の形で運営されて来たが、今後は河川管理施設として、愛知県知事が管理することとなった。 |
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この年 |
・下水道局の三階橋ポンプ所建設にともなう矢田川伏越改築工事が完了。
従来伏越の南側にあり通称「天然プール」と呼ばれて水泳などで親しまれていた分水池も埋め立てられ姿を消し、三階橋ポンプ所の敷地となった。 |
◆昭和54年(1979) |
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3月31日 |
・庄内用水の取水口上流に、導流堤設置
工場排水により水質の悪い八田川からの流入水を排除し、庄内川本川の水だけを取水できるように、頭首工の上流部に導流堤が設置される。
○規模 木柵(高さ1.8m) 延長26m
ダルマ篭(直径1.5m、高さ1.2m) 16個
土堤ならびに土留壁(壁高1.3m) 延長232m |
◆昭和56年(1981) |
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1月30日 |
・庄内用水元杁頭首工管理詰所の改築が完了 |
◆昭和57年(1982) |
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6月3日 |
・名古屋市土木局は「川を美しくする会要綱」を制定。
沿川住民での河川美化活動への市からの援助を定めた要綱を制定。
以後、庄内用水沿川に川を美しくする会が結成される。 |
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7月 |
・庄内用水で「魚のつかみ取り大会」を開催
名古屋市は用水の美化をPRするため、北区光音寺町の用水路で、数千人の子供が参加する「魚のつかみ取り大会」を行なう。
以後、昭和60年まで毎年場所を変えて実施 |
◆昭和58年(1983) |
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8月 |
・「天然プールの碑」が建立される
以前、矢田川伏越樋の南側にあった分水池…通称「天然プール」を記念する碑が、名古屋市の河川由来碑の第1号として建てられ、市長も出席して除幕式が行われる |
◆昭和59年(1984) |
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3月5日 |
・昭和20~30年代に県営事業で整備された頭首工や北区・西区内の水路護岸などは、これまで県有財産で管理のみ名古屋市が行ってきたが、県から名古屋市に無償譲渡される |
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この年 |
・庄内用水路環境整備事業(庄内用水を水と緑の散策路に整備する事業)が、北区三階橋下流から始まる。
・灌漑面積は、土地課税台帳、および現地調査の結果87.4㏊(水田のみ) |
◆昭和61年(1986) |
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秋 |
・「産業考古学会」と「愛知の産業遺跡・遺物調査保存研究会」から「庄内用水の元杁樋門は明治の貴重な文化遺産として現地保存することを求める」陳情書が市長へ出される |
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10月 |
・庄内用水元杁樋門の新樋門建築
元杁樋門が老朽化してきた為、明治43年に造られた樋門の前(川側)に、新しい樋門を建設する工事が始まる(昭和63年3月完成) |
◆昭和62年(1987) |
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4月 |
・昭和29年に完成した庄内用水頭首工が老朽化したため、ゲート修繕工事が始まる
(平成4年3月完成) |
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7月10日 |
・昭和59年から進めてきた庄内用水路を水と緑の散策路に整備する事業が、建設省の「手づくり郷土賞ー水辺の風物詩」を受賞 |
◆平成元年(1989) |
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5月 |
・荒子川の水質改善の為、庄内用水の余剰水を荒子川の最上流に導水 |
◆平成2年(1990) |
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3月 |
・庄内用水取水口上流部の導流堤を改築 |
◆平成16年(2004) |
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8月 |
・「庄内用水を環境用水にする会」設立
庄内用水は農業用水のため、4~9月の灌漑期以外は水利権がなく水路は一滴の水もない状態であった。このため北・西区内の沿川9学区の住民が会をつくり、通年通水を目指してイベントや陳情活動を始める。 |
◆平成22年(2010) |
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12月14日 |
・通年通水開始
守山水処理センターで高度処理した下水を、三階橋ポンプ所西の庄内用水へ注入 |