水分橋のたもとの庄内川の左岸堤防。ずいぶんたくさんの車が通り過ぎるが、その下には、明治43年築造の貴重な樋門がかつての姿のまま人知れず保存されている。 100年の歳月を経てもびくともしない樋門は、当時の優れた技術を今に伝え、歴史のある堀川・庄内用水の源流にふさわしい風格のある樋門である。 |
堀川・庄内用水の源流 | 今も残る 明治43年の樋門 | 全国的にも貴重な 技術遺産 |
全国的にも貴重な 技術遺産 |
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この樋門はほかには無い、いくつかの特徴がある。 異常に背の高い 切石積みの樋管 堤防の下を水が流れる樋管(トンネル)は2本あり、いずれも四角い石を積んだ切石積みで造られている。 長さ99尺3寸(29.8m)、断面は上部がアーチ状で幅は7尺(2.1m)、最高部の高さは10尺5寸(3.2m)もあり、流す水の量に比べると異常に背が高いトンネルである。 壁に残る 鉄の環 また西側のトンネルの壁には所々に、赤錆びた鉄の環が付けられている。 これらは、かつて犬山と名古屋を結ぶ舟が樋門の中を行き来したため工夫された特別な設計である。 流れる水の上を通る舟の船頭さんの高さを考えてトンネルの天井は通常より高く造られた。壁の輪にはかつては通船鎖と呼ばれた鎖が取り付けられていたが、これはトンネルの中では竿で舟を操れないので、船頭さんはこの鎖を引っ張って舟を進めて行ったという。西側のトンネルだけに通船鎖があるのは、犬山から名古屋への舟は流れに乗って東側のトンネルを下り、犬山に向かう舟は流れに逆らって西のトンネルの鎖をたぐって舟を進めたからだ。 この地が名古屋と犬山を結ぶ水上交通のメッカであった事を如実に伝える設備である。 |
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特異な 複合式ゲート トンネルの出入り口には木製のゲートが付けられている。 一般のゲートは上下にスライドする戸か観音開きの戸が付けられるが、ここのは下半分がスライド式、上半分が観音開きの複合式になっており、他に類例が無いのではと思われる形式である。 このような特殊な形式にしたのは、巨大なゲートを人力で操作するためであった。ゲートは洪水時の巨大な水圧に耐えられるように頑丈に作られる。元杁樋門は舟航のために丈の高いトンネルになっているので、一枚のゲートでは非常に大きく重いものになり人力では動かせない。このため上下に分割したが、上下ともスライド式にするとゲート同士の水密性に問題があるので、上部を観音開きにして水圧で上部ゲートが下部ゲートに密着するように工夫したと考えられる。明治の設計者の苦心がしのばれる構造である。 最新技術 ネジでゲートを昇降 スライド式ゲートは、当初は滑車を使い人力で引っ張り上げて先の曲がった鉄棒を戸の桟を引っ掛けて落ちないように固定する方式であった。 下半分とはいえ相当の重量があり、大正3年(1914)に船の舵輪のようなものを回して傘歯車とネジでゲートを上下させる方式に改造している。今、外から見えるトタン屋根の下のものがそれである。 歯車やネジは今では当たり前の技術であるが、当時は先進技術だったようで、日本車輌製造㈱が改造を請け負ったことからもそれがうかがえる。 |
上下スライドゲートは途中まで引き上げ 観音開きゲートは左側が開いた状態 舵輪状のハンドル奥に傘歯車 中央下部に太い棒ネジ |
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明治の新技術 人造石の採用 トンネル出入口の中央上部に「庄内用水元樋 明治四十三年五月改築」と記された銘板(タイトル横の写真)がはめ込まれている。よく見るとこの周りの石積は目地幅が少し広いことに気がつく。これは現在のようなモルタルでなく人造石を使った目地だからである。 昔から日本の左官が持っていた技術「たたき」工法を改良した人造石は、まさ土と石灰を混ぜて水で練ったものを目地に少し詰めては棒でたたき締める作業を繰り返して施工する。人造石工法では、棒が入るように目地の幅を広くしなければならない。 明治10年(1877)頃から大正にかけて大規模な土木構造物を作るのに広く使われた工法だが、セメントや鉄筋コンクリートの普及により今では忘れられてしまった。各地にあった人造石により造られたものもほとんどが失われ、市内で完全な形で残っているのはここだけではないだろうか。 |
70貫(263㎏)の錘で基礎杭の打ち込み 上に水分橋が見える 完成記念写真(庄内川側から撮影) 『庄内用水元樋及矢田川伏越樋改築紀念』 |
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新しいゲートの建設と旧樋門の保存 昭和63年(1988)に、明治の元杁樋門と庄内川の間へ新しい樋門が建設された。通常、不要となった旧樋門は解体撤去されるが、その歴史的な価値から特別に保存されることになり、役割を終えた今も静かに庄内川堤防の下に佇んでいる。ゲートが上げ降ろしされることはなくなったが、庄内川から取り入れた水が今も明治の樋門の中を流れて都心へと送られている。 平成5年(1993)に名古屋市都市景観重要建築物等に、27年度には土木学会の推奨土木遺産に指定された。 |
昔の元杁樋門 昭和63年以降の元杁樋門 |
2004/07/13・2021/03/16改訂 |
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