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事 項 |
明治40年 |
1907 |
12月18日 |
三間樋を人造石構造に改築する事業に着手。
三階橋の南東にあった庄内用水と堀川を分水する三間樋(庄内用水への流量を調整する水門)を人造石で改築。
○工事費:2,133円25銭7厘 ○完 成:明治41年3月31日 |
明治41年 |
1908 |
4月18日 |
三間樋の南北護岸の石垣築造工事に着手。裏込に人造石を使用。
○完成:明治41年4月25日 |
明治42年 |
1909 |
12月18日 |
元杁樋門の改築に着手。胸壁の目地に人造石を使用
庄内川から取水する元杁樋門の改築にあたり、樋管(堤防の下の水路トンネル)の側壁等は石積構造、底はコンクリートにしたが、胸壁(樋管出入口上部の擁壁)の目地に人造石が採用される。
(これが現在も残る元杁樋門。人造石を使い今も残されているものは名古屋市内でも全国的にもきわめて数少ない)
○規 模:内法寸法で高さ3.15m 幅2.1mのアーチ型2連のトンネルで延長29.8m
○工事費:10,515円78銭 ○完成:明治43年6月20日 |
明治43年 |
1910 |
7月30日 |
矢田川伏越樋を人造石で改築する事業に着手。
庄内用水が矢田川を横断するための170mもの地下水路「矢田川伏越樋」の人造石による改築事業が始まる。
この時の種土は近くの志段見村吉根(現:守山区大字吉根)で採られた土を使用。種土の購入代金だけで3,400円50銭、石灰の代金が3,143円50銭であった。
○規 模:内法寸法で高さ2.55m 幅2.1mのアーチ型2連のトンネルで、延長169.56mという大規模な施設。
○工事費:41,644円3銭 ○完成:明治44年5月30日 |
大正元年 |
1912 |
9月28日 |
東井筋で、立切を人造石で改築する工事に着手。
西区隅田町(現:西区幅下二丁目)地内にある東井筋(江川、庄内用水支川)の立切(取水しやすいように水位を堰き上げる施設)を人造石で改築する工事に着手。
○規 模:長さ9.1m 内法寸法で高さ1.8m 横幅1.2m
○工事費:1,080円 ○完成:大正元年12月20日 |
大正2年 |
1913 |
10月13日 |
庄内用水の立切を人造石で改築する工事に着手
庄内村大字稲生字十三割(現:西区稲生町1丁目)にある庄内用水の立切を、人造石で改築する工事に着手。
○規 模:長さ 5.8m 内法寸法で幅5.7m 4門
○工事費:950円 ○完成:大正2年11月30日 |
大正6年 |
1917 |
3月10日 |
米野井筋の水路付け替え工事に着手。人造石の護岸を採用。
愛知郡愛知町大字米野、露橋(現:中村区、中川区)地内の米野井筋(庄内用水支川)の用水路を付け替える工事に着手。護岸の相当部分を人造石で築造。
○規 模:工事延長 450.27m、幅員 1.8m うち護岸の延べ延長651.56m を人造石護岸とする
○工事費:3,522円93銭 ○完成:大正6年4月30日 |
大正9年 |
1920 |
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庄内用水の立切周辺の護岸を人造石で改築
大正2年に人造石で改築した庄内村大字稲生にある立切周辺の護岸を人造石で改築。併せて護床工(水路の底が流水でえぐられないように補強する工事)も行う。
○規 模:護岸工の延長 10.5m 護岸の高さ 平均1.5m 護岸の厚さ 上端45cm 下端75cm
○工事費 199円32銭 ○護床工の工事費 476円32銭 |
大正11年 |
1922 |
3月15日 |
三郷悪水路の吐樋の改築工事に着手。樋管出口の袖壁に人造石を採用。
庄内村大字稲生字十三割地内の三郷悪水の樋管は従来は木造であったが、改築にあたり樋管本体は鉄筋コンクリート、樋管出口の袖壁に人造石を採用。
(庄内用水関係の構造物で鉄筋コンクリートが採用されたのは、大正6年の大幸川の水路橋が最初で、この頃が人造石から鉄筋コンクリートへの転換期である)
○規 模:長さ 5.4m 内法寸法で 高さ1.2m 幅1.9m 1門
○工事費:1,335円 ○完成:大正11年6月18日 |
昭和14年度 |
1939 |
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人造石造りの矢田川伏越樋の修繕工事を実施
矢田川の川底が浸食で下がり、明治43年に人造石で造られた矢田川伏越樋の上部が川底に出てきたため浸食防止の工事を行い、併せて樋管の底の人造石目地が流出していたためモルタルを充填して補修。
(この頃にはすでにモルタルやコンクリートが一般的になり、人造石は使われなくなっていたようである)
○規 模:浸食防止の床止工 長さ55m、巾 2m
○工事費:1,900円 |
昭和30年度 |
1955 |
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人造石造りの矢田川伏越樋が改築により取り壊される
矢田川の川底が浸食で下がり伏越樋の上部が川底から1.4m露出して流水の妨げになり、また老朽化してきたため、改築工事が行われる。
(これにより、明治44年の築造から44年間にわたって使われてきた大規模な人造石製の旧伏越は取り壊された)
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