藩士の射撃練習場
鉄砲塚町

 名古屋開府の頃、城下はずれの地に鉄砲塚が築かれ、藩士たちが射撃の練習をした。その地は鉄砲塚町と呼ばれたが、後に射撃練習場は建中寺の東へ、さらに矢田川原へ移転した。





 平田町交差点北西地域の旧町名は鉄砲塚町である。開府当初にこのあたりに鉄砲塚が築かれ、藩士たちが射撃の練習をしたことからこの名が付いた。

 しかし慶安2年(1649)に建中寺の東へ練習場は移転して、跡地は武家屋敷に変わった。さらに寛文6年(1666)、練習場は矢田川原へ移転されている。


『安政名古屋図』
1854~60




 2025/07/18