日本で一番賑やかな街道、東海道。海を越える七里の渡しは天候に左右される不安定な交通路であった。そのバイパスとして造られたのが佐屋街道である。多くの利用があったが、明治5年に新東海道(前ヶ須街道)が開かれて役割を終えた。 |
佐屋街道とは | 貴人などの通行 | 佐屋街道の終焉 |
◇佐屋街道から新東海道(前ヶ須街道)へ 佐屋街道は熱田と桑名を大回りのルートで結んでおり、さらに三里の渡しは十分に機能しない状況になっていた。 このため明治5年(1872)の太政官布告により佐屋街道は廃止され、江戸時代に開発された干拓新田地帯を行く前ヶ須街道(新東海道)が開かれたのである。 なお、佐屋川は明治に行われた木曽三川分流工事により木曽川からの分流口が閉鎖されて廃川になった。 |
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下図 『尾張国全図』 明治12年 |
2024/02/16 |
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