名古屋駅設置 23.7mの道へ
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◇名古屋駅の設置 道路整備が条件
碁盤割市街地の外れに架かる納屋橋界隈が、大きく姿を変えることになったのは鉄道の開通である。
文明開化の象徴ともいうべき鉄道は、明治5年(1872)に新橋~横浜が開通したのをかわぎりに、民営も含めて建設が進んでいった。東海道は海運が活発なことと、艦砲射撃を受けやすく軍事上不利なことから、17年(1884)に中山道ルートでの建設が始まった。
当時の吉田区長(現:市長)や国貞県令(現:知事)は、上京して東海道が有利なことを説得し、その結果工事費の問題もあって東海道ルートへ変更となった。
しかし、市内から駅への道路を造らなければ、駅の設置は難しいと条件をつけられた。
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◇広小路を納屋橋まで延伸
このため、長者町から納屋橋までは、それまで2間(3.6m)未満だった道幅を13間(23.7m)に広げ、納屋橋から笹島に造られる停車場までは10間(18.2m)の道路を新設する計画をたてた。
測量・用地買収・家屋の移転が進められ、明治19年(1886)12月から道路工事が始まった。翌年1月になってもまだ建物の移転は完了しておらず、停車場付近の水田の埋め立てを始めたばかりで、あちこちで地均しや砕石を敷いている状態であった。
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広小路が納屋橋まで延伸、納屋橋から笹島へ新道
『名古屋明細地図』 明治26年 |
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ところが2月中旬に天皇が通行する事になり、これに間に合うよう急ピッチで工事が進められて大半が完成し、5月には関連する伝馬町通や江川添いの道路も含め完工した。この工事に合わせて納屋橋も19年(1886)に拡幅されている。
これにより長者町以西の狭い「堀切筋」は「広小路」に変わり、後に名古屋一のメインストリートになる基盤が造られた。
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