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◇明治橋から笹島ガードへ
やがて姿を消すときがきた。昭和12年(1937)の名古屋駅の移転である。駅を笹島交差点北から現在の位置へ移転し、併せてそれまで平地に敷かれていた線路は土盛の上に敷設された。これにより跨線橋の明治橋は必要がなくなり、広小路の延長に鉄道が道路の上を通る跨道橋(ガード)が設けられ、笹島ガードが名古屋の旧市街と中村を結ぶメインストリートになったのである。
明治橋は36年間、名古屋と中村方面をつなぐ幹線道路として、多くの人が通行した。
中村公園へ行く親子連れ、遊郭へ遊びに行く人々、野菜や下肥を積んだ大八車やリヤカーなどが、橋の下を通る機関車の煙を浴びながら橋を渡っていった。
昭和28年(1953)刊行の『中村区史』には、かつての明治橋周辺の様子を次のように記録している。
「今の名古屋駅舎(昭和12年完成の旧名古屋駅舎)の出来る前までは東海道・関西両線も跛行的平地運転のため跨線の明治橋があつた。これが中村遊廓に通ずる唯一の街道で狭い道に古びた家が土堤下に並び、縄暖簾の居酒屋、関東煮や大福餅の屋台見世位のものであつた。更に昔へ遡れぽ無数の往き来の遊客がロマンスを造つた残る話もあろう」
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『名古屋市街全図』 昭和12年
『大正昭和名古屋市史』
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