今では忘れ去られた駅があった。現在の名鉄小牧線(当時は大曽根線)にあった瀬古駅である。開設から廃止まで11年という、短い期間だけ存在していた駅である。 |
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犬山街道沿いに鉄道を建設する動きは明治時代からあったが実現しなかった。 その後、昭和2年(1927)に城北電気鉄道(株)が設立され、大曽根~小牧と押切~坂下の鉄道敷設免許を取得した。小牧以北は尾北鉄道(株)が免許を取得し準備を進めていた。そのようななか、昭和4年(1929)に名岐鉄道(株)〔10年(1935)に愛知電機鉄道と合併して名古屋鉄道に改称〕に吸収され工事が始まった。 ◇昭和6年 瀬古駅開設 昭和6年(1931)2月11日、上飯田から小牧間が開通した。その時に瀬古の新堀に瀬古駅が設置された。なお、この頃は大曽根線と呼ばれ、戦後の昭和28年(1953)に現在の小牧線に改称されている。 |
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使用した車両は設備費と運行費が安いガソリンエンジンで動くガソリンカーであった。しかし路線の南端は大曽根でなく上飯田だったことで利便性が低く、バスの方が人気があり利用者が少なかった。 その後のガソリンの高騰と利用者の低迷で12年(1937)には廃線の動きもあったが、地元の反対運動でなんとか存続した。 そのようななか、昭和12年(1937)に日中戦争が始まるとガソリンの統制が始まり、16年(1941)には乗用車やバスなどのガソリン消費が禁止され、小牧線でもガソリンカーから代燃車(木炭車)になった。 ◇昭和17年 瀬古駅廃止 一方では軍事関係や工場労働者の輸送を確保する必要もあった。このため電化することになり、昭和17年(1942)7月から電車が走るようになったが、その時に利用者が少なかった瀬古駅は廃止されている。11年余の寿命であった。 なお、『守山市史』には瀬古に駅があったことが書かれ、瀬古橋の東には建築工事の時に痕跡が出てきたと写真入りの説明看板が掲げられている。 しかし昭和6~11年の手持ちの地図数枚を見ても、上飯田駅や味鋺駅は記載されているのに瀬古駅は載っていなかった。他より小さな駅だったのだろうか。 |
1/25000 昭和7年 |
2024/11/24 |
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