今も残る

跳 上 橋
 堀川西岸の1・2号地間運河に跳上橋が架かっている。かつて臨港線が盛んに貨物を運んでいた頃は、貨車が近づくと橋が下ろされた。今では臨港線も中川運河沿いの名古屋港駅までで、そこからこの橋への線路は撤去され、空に向かって伸びる跳上橋だけがかつての活気を伝えている。




◇臨港線の開設と延長
 名古屋駅と名古屋港を結ぶ臨港線が開通したのは、明治44年5月1日のことだ。名古屋港駅は中川口に面して建っており、当初は旅客輸送も行ったがまもなく貨物専用になった。

 その後、名古屋倉庫(現:東陽倉庫)が2号地の堀川寄りに倉庫を建設した。名古屋倉庫の寄付金によって、2号地前から2号地の堀川岸まで臨港線は延長された。

 さらに東神倉庫(現:三井倉庫)が、1号地堀川口東北端に倉庫群を建設した。この倉庫群は、輸入した綿花を入れるためのものであった。東神倉庫の寄付金により、臨港線は2号地から東神倉庫東側まで延長され、1・2号地間の運河に架かる跳上橋が建設された。延長された線路の堀川岸に堀川口駅ができ、昭和3年1月(『名古屋港史』では3月)から営業を始めている。


『港区全図』 昭和30年
◇跳上橋(開閉橋)
 幅54mの1号地と2号地の間の運河に堀川に面して架っている橋は昭和2年に架けられた4径間の橋で、そのうち3径間は固定鋼桁橋で、1径間が19.6mの跳上橋になっている。可動部は電動機によって、上ったり、下ったりした。
 跳上橋には、「可動橋架設製作 山本工務所」と彫られた銘板がはめられている。山本工務所の創設者は山本卯太郎である。名古屋高等工業学校(現:名古屋工業大学)を卒業し、アメリカ留学をして橋架建設を学び、跳上橋の設計を得意とした、当時一流の技術者である。

 輸送の変化により臨港線の名古屋港駅以東が廃止され、昭和62年から橋は上げたままの状態で現地に保存されている。現在は有形登録文化財、土木学会推奨土木遺産に指定されている。


現地は私有地で、通常は入れません。
西の稲荷橋からご見学下ださい。




 2023/06/02