大曽根駅の
殉職者慰霊碑

 大曽根駅の南に「殉職者慰霊碑」と刻まれた石碑が、静かにたたずんでいる。これは太平洋戦争の空襲で大曽根駅が爆撃されたときに、駅の防空壕に避難していて亡くなった駅員の慰霊碑である。
 鉄道輸送を維持するために、ギリギリまで努力をした人々の犠牲の上に今の私たちの生活と繁栄がある。




 JR大曽根駅の南改札口の南側道路沿いに、第二次世界大戦で殉職した大曽根駅員30人の慰霊碑が建立されている。

 昭和20年(1945)4月7日 11時に、米軍爆撃機B29 151機が、大曽根駅東にあった三菱発動機等に爆弾を投下した。大曽根駅も全壊し、防空壕にいた駅員37人中30人が、爆弾の直撃をうけて死亡した。
 爆撃の直前、プラットホームには100人の乗客がいた。助役のとっさの判断で、乗客100人を乗せて臨時列車が勝川にむけて出発した。列車は勝川に到着し、乗客は全員無事であったという。

 慰霊碑の表面には「哀哉 殉職者慰霊碑」と彫られ、裏面の上段には「至誠公ニ奉シ毅然トシテ職ニ殉ス 業ヲ我国有鉄道ニ操(と)ル者ノ儀表(ぎひょう)タリ 茲(ここ)ニ其ノ義烈ヲ称(たた)ヘ長(とこし)ヘニ英霊ノ呵護(かご)ヲ祈ル」。下段に「昭和二十年四月七日 大曽根駅ニ於ケル殉職者」の文字と30名の氏名(内12名は女性)、「昭和二十一年八月建之 建設委員 遺家族一同 大曽根駅員一同」の文字が刻まれている。
 昔の鉄道業務は男性が多かったはずだが、ここの犠牲者には女性が異常に多い。戦争で男は兵隊に取られて出征してゆき、穴埋めに女性や女学生が業務に就いていたのであろう。

 今の大曽根と北区の繁栄は、長い年月、大きな壁に立ちむかい、時には孤立しながらも駅の設置にむけて突き進んだ人々や、激しい爆撃のなかで輸送確保に必死の努力をしてきた人々が礎を築いたのである。


正面


裏面




 2025/06/24