カーナビが普及する前のドライブは、地図と道路標識が頼りだった。 昔の旅人は、路傍に建つ道標を頼りに歩みを進めていた。永年旅人を支えてきた東海道の道標が,今も伝馬町に残されている。 |
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伝馬町の西端はT字路になっており、突き当たりに源大夫社(上知我麻神社)が鎮座し、その前の南北道は北へは美濃街道(兼、佐屋街道)南へは七里の渡し経由で桑名へ行くことができた。この場所は熱田の追分になっていた。 旅人の便を図るため、北東角に宝暦8年(1758)、東南角に寛政2年(1790)、道標が建てられた。 現在は寛政の道標が北東角、宝暦のは10mほど東の民家前に建っている。 寛政2年の道標に刻まれているのは次の文字で、宝暦8年のには「京いせ七里の渡し 」がない。 |
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東 北 さやつしま 道 同 みのち 南 寛政二庚戌年 西 東 江戸かいとう 北 なこやきそ道 北 南 京いせ七里の渡し 道 是より北あつた御本社貳丁 |
『尾張名所図会』 |
◇寛政2年の道標 |
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◇宝暦8年の道標 | |||
2023/03/27 |
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