誓願寺の南に白鳥御陵への案内碑がたっている。明治37年に愛知共同馬車会社が建立したものだ。 馬車を降りた客は、すぐ近くの鎮皇門(西門)から熱田神宮へ参拝に向かい、少し離れた白鳥御陵へはこの石碑に案内されて見物に行ったことであろう。 |
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誓願寺の少し南に「白鳥御陵 従是西二丁」と書かれた大きな石碑が建っている。右側面には「明治三十七年(1904)五月廿二日」、左側面には「愛知共同馬車会社中建」の文字が彫られている。 この碑は、平成14年(2002)頃はすぐ南の街区隅切りの所に建っていたが、建物の建替の時に国道19号に面する場所へ移動したようだ。 |
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建立した愛知共同馬車会社の詳細は分からないが、『明治の名古屋』に明治38年(1905)5月6日「愛知共同馬車会社が、賃上げを行う。大須~熱田間、五銭を六銭とした。」との記載があり、大須と熱田を結ぶ乗合馬車の運行などをしていたようである。 この場所は、すぐ東には熱田神宮の鎮皇門(戦災で焼失)があって西の入口となっており、西へ200m余で白鳥古墳(御陵)のある法持寺に行くことが出来る。ここは乗合馬車の停留所があったと考えられ、大須から乗車したお客さんへの案内として馬車会社が設置したようである。 |
『名古屋明細全図』 明治28年 |
2022/02/22 |
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