名古屋の副都心金山駅のすぐ西に架かっているのが尾頭橋である。江戸時代の堀川には七つの橋が架けられていたが一番下流の橋で、ここより下流には橋はなく渡し船で両岸を結んでいた。 |
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江戸時代、堀川の一番下流に架かっていたのが佐屋街道が通る尾頭橋である。 | |||||
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◇寛文7年(1667)に架橋 道は江戸時代以前からあったが、整備されたのは寛永11年(1634)に3代将軍家光が通行した時である。 当初は今の瓶屋橋の所を通る道筋だったが、寛文6年(1666)に幕府の道中奉行が管理する官道に指定され、翌7年(5年説もある、1667)に今の尾頭橋を通るルートに変更された。この時に橋も架け替えられたので尾頭橋は「新橋」とも呼ばれた。 『宿村大概帳』によれば、高欄(欄干)付きの板橋で、長さ17間(30.9m)、幅3間(5.5m)、橋杭は3本立4組の橋であった。 何度も改築されているが、安政3年(1856)、明治21年(1888)、昭和13年(1938)の改築が記録されており、現在の橋は平成6年(1994)に架設された鋼製桁橋である。 |
『元文3年(1738)名古屋図』 |
2021/07/16 |
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