笈瀬川・中川
珍しい? 生物

 人の住む空間とは別世界である川の中。異界に住むふしぎな生物、珍しい生物が、時々人の空間に現れたことが記録されている。


    河 童   大 鰻   大山椒魚



河    童
     宝暦6年(1756)7月3日の明け方に、河童が出た記録が残されている。
 隠居している老武士が押切(現:西区)を散歩していると、子供が後を付けてきた。前を歩けというと肩に手をかけて引き倒そうとしたので捕まえ、本来なら打ち殺すのだが許してやると言ったところ、笈瀬川に飛び込んで逃げて行ったという内容である。 

 『小治田之真清水』に、次のように記録されている。
 「山岡恭安が著述にて寛政10年(1798)板行の百二十石といふ随筆に、織田家の家来にて今ハ致仕してる河合小伝治といふ老士巾下の西に居住したるが、
 宝暦6年(1756)7月3日の暁がたに目さめて寝られざりたれば野外の曙の景色をみんとて押切田面の立出、あちこち歩行(あるき)たるに7~8歳ばかりとおぼしき小児一人跡につきて来ることあやしみて、いずこへゆくぞと問ひしかば、我ハ椿の森に住む者之押切の水車まで行んと答ふ。
 さあらバ前に立てあゆめといひたるに、いなされうしろにたちぬ。うんといひつゝ小伝治が肩に手をかけ引倒さむとす。其力の強き亊いふばかりなし。小伝治勇強の男なれバ引とらへて、おのれ河童不届なり。我昔乃身ならば一拳に打殺すべきが、今は念仏修行のみ乃老人なれバゆるすとにらみつけたれば忽ち笈瀬川へ飛入りしよししるせり。」




『小治田之真清水』

 河童伝説は全国各地に伝わっており、泳ぎが得意で相撲とキュウリが好き、頭に皿がありそこの水分がなくなると力が出ない。また、土木工事を手伝った、薬の作り方を教えた等プラスの伝承もあれば、泳いでいる子供の足を引っ張り溺死させる、尻小玉を抜いて人を殺す等マイナスの伝承もあり、さまざまである。

 笈瀬川から分流して堀川ヘ放水する無三殿の杁には、痔疾に効能がある神社が祀られていたのは、河童が尻小玉を抜くという伝承からの派生であろう。

 中村区の笈瀬通商店街には河童のモニュメントが建てられている。



大   鰻
   この水系は鰻が多く、大鰻もいた。中野村(現:野立橋の東)の人が縄で縛って縛り、5~6人がかりで引っ張ったが逃げられたという。
 
 『小治田之真清水』に次のように書かれている。
 「中川筋にうなぎ多く□龍(かうりゅう)へたる大うなぎもたまたまには見当る事あれど、里人さのみ捕る事を欲せざるにや
 秉穂録(へいすいろく)に、尾州中野村の水辺に大なる鰻□出たるを縄にてくゝり、56人して引よするに少しも動かず、しづしづとはひ行きたり。是らは皆其種類の王なるべしとしるせり。
 定めて中川より田ぶち□ん□へ登り居しを里人等とらへんとして取り迯(にが)せしなるべし。かかるうなぎも食して毒なし。大和本草に日向州の鰻□其大なる事他州に倍せり。其周囲一尺余、長六尺余なり。食して無毒としるせり。」



『小治田之真清水』

 ここでは普通のニホンウナギが年月を経て大きくなった物のように書かれているが、同属別種である。
 熱帯性の種で日本では利根川以西の地域に点在しており、和歌山県の富田川や徳島県の母川などのものは国指定の天然記念物に指定され、その外に市指定の天然記念物になっているところもある。

 鹿児島県の池田湖には多く生息して市の指定文化財になっており、岸辺の土産物店などの店頭では水槽で展示している。これまで捕獲された一番大きな物は体長が1.8mで体重が20㎏あったという。



大 山 椒 魚
 文政2年(1819)11月に、広小路で大山椒魚の見せ物が出た。
 笈瀬川で網にかかったのが、興行師の手に渡り見せ物になったという。「貝龍」と名付けられ、看板には巻き貝から出てきて雲に登る姿が描かれていた。餌にはドジョウなどを与え、大山椒魚の姿を描いた絵も売っていた。
 
 大山椒魚は愛知県以西に生息する日本固有種で、今では天然記念物に指定されている。愛知県では犬山の木曽川と瀬戸の蛇ヶ洞川にしか生息しておらず、将来の絶滅が危惧されている生物だ。
 昔は名古屋郊外だった笈瀬川にも生息していたが、夜行性で見る機会が少ないので、人々には珍しい見せ物だったようだ。

 

『新卑姑射文庫』




 2024/04/05