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◇変わった名前 無三殿杁
この杁は三間杁とか無三殿(むさんど)の杁と呼ばれた。
無三殿杁の名はこの北東、江川と堀川の間に松平康久(法名が無三)の屋敷があった事による。
『名古屋府城志』には
「三間杁の辺を無三戸と云。是は夕日物語に、松平図書康久後に法名を無三といへり、其屋敷元日置橋の向にあり。今は石河出羽守下屋敷なり、其時分は無三殿屋敷と世間に唱へたる由。今無三戸と唱へるはなまれる也卜」と書かれている。
◇痔を治す支流の流れ
この杁はきれいな水が流れ、「無三殿主神」と書かれた大きな石があった。痔の治療にご利益があるとされ多くの人々が参拝したという。この石は現在、塩竈神社に遷され無三殿社に安置されている。
◇鎌倉時代は、近くに鎌倉街道
また、『尾張徇行記』の稲葉地村の項に「古ノ小栗街道ハコヽ(東宿)ヨリ上中村・米野村・露橋村・古渡村ヘカヽル。今ノ無三戸杁ノ辺古街道ノ由」と書かれ、付近に小栗街道が通っていたとしている。
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