堀川岸でひときわ目立つレトロな塔は松重閘門である。艀輸送が盛んだった時代に、堀川と中川運河を結ぶ閘門のゲートを昇降させていた施設だ。名古屋の舟運を支えてきたが、今は静かにたたずんでいる。 |
運河網計画 | 中川運河建設と閘門式運河 | 昭和6年使用開始 | |
戦災復興・高度成長を支える | 昭和43年運用停止 |
運河網計画 |
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◇運河網計画 大正13年(1924)6月、運河網計画が内閣の認可を受けた。 中川・荒子川・山崎川・大江川を改修して新しい運河にし、併せて既にある堀川・新堀川も改修する。またこれらの幹線運河の間をつなぐ支線を設け、相互に行き来できるようにして運河の網を構築するという計画である。 この時代、鉄道も整備されてきたが、駅から工場への輸送は馬車や大八車など貧弱な手段しか無く、大量輸送には艀が必要であった。このため、運河の網の目を造り地域の発展をはかるという趣旨である。 |
2021/09/03 |
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