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「古渡」という橋名は、鎌倉街道に由来する名前である。
東海道の前身とも言える鎌倉街道は、庄内川を渡り今の中村区にあった東宿・上中村・米野村、中川区の露橋村、中区の古渡村という経路で名古屋台地に来て、古渡村からは舟で瑞穂区の高田村・大喜村へ渡り東へ向かったと言われている。鎌倉時代頃にできた『明日香井集』(あすかいしゅう)に、古渡の題にて、「むかしより其名かはらぬ古わたり さても朽せぬ橋はしら哉」の歌があり、その時代に古渡橋が架かっていた。しかし歌に詠まれた古渡橋は今の堀川に架かる古渡橋ではない。堀川は江戸時代初期に開削され、鎌倉時代には存在していない。
鎌倉時代に渡し場があったのでこの地域は古渡村と呼ばれ、堀川ができ橋が架けられたとき、古渡村にある橋なので古渡橋と名付けられたのである。
江戸時代、古渡橋から日置橋の間は蜆を採ることが禁止されていたが、嘉永3年(1850)8月に解除された。
また、嘉永7年(1854)におきた安政東海大地震の時は、高潮がこの辺りでは道路近くまで押し寄せたと記録されている。 |