かつての幹線道路
猿 子 橋

 交通量の多い運河橋のすぐ下流に、比較的静かな猿子橋が架かっている。中川運河開削時には大須通はなく、猿子橋を通る郡道常磐街道が地域の幹線道路であった。





 中川運河開削時の昭和4年(1929)に初めて架けられた。当時は延長が39.8m、幅が5.5mの鋼桁橋であった。現在の橋は平成10年(1998)に架け替えられた二代目である。
 変わった名前は橋の東地域にあった字名(猿子)に由来する。

 すぐ上流に交通量の多い運河橋(大須通、都市計画道路)があるのであまり注目されないが、日置橋から津島街道へ行く事ができる道で、大須通が完成するまではこの地域の幹線道路であった。
 この道は郡道の常磐街道で、明治38~43年(1905~10)に、幅員が2~2.5間(3.6~4.5m)で郡役所により整備された道である。大正8年(1919)に(旧)道路法が制定されると「米野 蟹江本通線」の道路名になっている。


『名古屋市全図』 昭和4年
猿子橋上流の赤線は、都市計画道路。
現在運河橋が架かる大須通だが、
この頃は未整備




 2024/04/28