なぜ 「紫」川?
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◇村の前? 紫式部?
紫川という優美な名の由来も、いろいろな説が伝わっている。
一つは名古屋村の前を流れていたから「村前(むらさき)川」だったのが「紫川」に表記が変わったという説だ。
『尾張名陽図会』は他の村にも川は流れているのに名古屋村だけが「村前川」なのは不自然とし、紫式部の召使いゆかりの名前という説を紹介している。
「この地は紫式部が召し使っていた者の故郷で、その者が帰郷して式部の霊を祀るために川の畔に五輪塔を建てた。それにより紫川と呼ばれるようになり、傳光院の境内に建つ古い五輪塔はその塔である」
なお、傳光院は現在千種区へ移転している。
『尾張名所図会』は名陽図会と同様に紫式部の墓という話を紹介し、古い書物の記載や確かな伝承がないのでよく分からないとしている。
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◇大須遊郭の隠語
紫川は大須遊廓(旭遊廓)の隠語としても使われた。
泉鏡花の『紅雪録』は東京から来た男が名古屋で1晩過ごして翌日帰京するとき、名古屋駅で赤帽と話をするシーンから始まるが、次の場面がある。
(赤帽)「そりゃ.最(も)う一向詰りません、別に見るやうな處はありませず、名所も景色もございませんので。」
(客)「否(いえ)、なかなか然(そ)うぢゃないよ、前津も佳し、大池も佳し、此の電車の通る正面にすッくり記念碑の立った處なんざ、西洋へでも行ったやうだ、田舎漢(もの)は目を驚かす。それに紫川といふ名所があるぢゃないか、第一君たちの名所だらう。」
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『築港図名古屋測図』 明治41年 |
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(赤帽)「御串戲(ごじょうだん)おっしやいまし、……略…… 何の旦那、紫川なんて、名所どころか、金銀を棄てる溝(どぶ)でございます。」
……略……
(赤帽)「えゝ、饂飩(うどん)の煮込が、彼處は名物でございまして、火鉢ごと座敷へ持出して喰はせますが、閑靜な佳い處でございます。牡丹亭へおいでなさいましたのでございますか。」
(客)「あゝ、牡丹亭へも行った、紫川へも嵌(はま)ったさ、」
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