明治43年に鶴舞公園で開催される関西府県連合共進会に向けて、新しく道路が新設され、その時に新堀川に掛けられたのが記念橋である。橋は名古屋で最初の鉄石混用橋というモダンなものであった。 |
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◇関西府県連合共進会に向けて 明治43年(1910)3月から第10回関西府県連合共進会(博覧会)が鶴舞公園で開催されることになった。 多くの来場者が来るので会場への交通網を整備する必要がある。会場への道路を新設することにしたが、多額の費用を要する事業なので紆余曲折があり、今の地下鉄新栄駅東南から鶴舞へ延びる東部線と、上前津駅から鶴舞へ延びる西部線が整備されることになった。 |
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◇道路整備と記念橋の架橋 東部線は明治42年(1909)4月に着工し、新堀川の掘削土で低地を埋めて8月に竣工している。 西部線は42年11月に竣工しているが、この工事のなかで新堀川に記念橋を架けた。道路は8間(14.6m)幅で整備されたが、経費の関係で橋は6間(10.9m)幅で架けられた。名古屋で最初の、橋台と橋脚が石積で桁が鉄製の鉄石混用橋である。ちなみに2番目は大正2年(1913)に竣工した納屋橋である。 翌43年(1910)2月には東部線・西部線で路面電車が運行されるようになった。これにより、博覧会場へのお客さんは、名古屋駅から電車で会場へ行くことができ、大量輸送が可能になったのである。 |
『名古屋市実測図』 明治43年 |
明治43年 『名古屋案内』 |
橋に飾りが付けられ、左手には路面電車が写っている。 明治43年 『名古屋今昔写真集』 |
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◇記念橋の架け替え 大正末期に都市計画事業が始まり、岩井町線(大須通)整備の一環として記念橋の架け替えが行われた。 長さ34m、幅30m余の堂々たるアーチ橋で、前年9月に新設された堀川の岩井橋と一緒に、大正13年(1924)1月26日に渡橋式が行われた。 その後、昭和52年(1977)3月に現在の橋に架け替えられている。全面架け替えだが、親柱と橋詰の欄干は以前のものを再利用している。 |
架け替えられた2代目の記念橋 『大正昭和名古屋市史』 昭和12年頃 |
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◇記念橋から船が出る 記念橋は都心から近く、路面電車が通る便の良いところなので、次のような事にも使われた。 明治43年(1910)4月に山田才吉が東築地で名古屋教育水族館を開業したが、まだ熱田電気軌道ができていなかった(7月に開通)ので、記念橋から東築地まで巡航丸という船が運航されたという。 大正2年(1913)頃は、一中(現:旭丘高校)漕艇部のボートが橋の西詰に係留されており、中央線鉄橋の下流から東邦ガスまでの区間で漕艇の練習をしたという。 |
2024/06/16 |
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