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美濃街道が碁盤割りの城下へ入る所に架かる伝馬橋を『尾張名陽図会』は、「往来の貴賎絶間なく、賑しき所也」と記している。
この橋を渡り東に800mほどゆくと、本町通との十字路で高札場や伝馬番所(会所)がある「札の辻」に着く。城下町なので本陣や正式の旅籠はなかったが、伝馬会所や宿屋があり城下の交通のターミナルである。旅人たちは伝馬橋まで来るといよいよ名古屋城下に着いたなあと安堵したであろう。
都心に近いこのあたりの堀川は寛文3年(1663)から護岸も石積みで整備され、川岸には舟運や筏での輸送という立地を生かした材木屋・竹屋・薪屋が多く軒を並べていた。川面にはこれらを運搬してきた舟がもやわれ、美濃街道の陸運とともに堀川の水運も活気を呈していたところである。 |
『尾張名陽図会』
伝馬橋の北西は材木三か町なので、
岸には木材が立ち並んでいる。
都心なので護岸は石積み。 |