庄内川の河床が上昇
地蔵川と新地蔵川
 地蔵川は庄内川に流れ込む川であった。庄内川の河床が上がり排水しにくくなったので、戦前に改修計画がたてられたが戦争で実施できず終わってしまった。
 戦後、新地蔵川が掘られて新川へ流れ込むようになり、令和になると地蔵川排水機場が造られて大雨の時は一部八田川へポンプ排水をするようになった。





◇流砂が堆積
  →庄内川の河床が上昇
    →地蔵川が排水できない

 地蔵川は金ヶ口池から流れ出し、元は水分橋のすぐ上流で庄内川に流入する川であった。

 庄内川は上流に多治見など美濃焼の産地があり、陶土の採掘や焼成の燃料である樹木の伐採により流砂が多く、その堆積により河床が年々上昇していった。このため、大雨が降り庄内川が増水すると、地蔵川が庄内川に排水することが難しくなり、合流点付近では浸水被害を引き起こすようになってきた。


水源の金ヶ口池

◇戦前……新川へ付け替え計画→戦争で実行できず
 このため国により昭和16年(1941)に庄内川右岸沿いに水路を掘り、新川に流入させる計画がたてられ用地の取得も行われたが、戦争の激化により着工できないまま年月がたっていった。

◇新地蔵川竣工……昭和43年(1968)
 昭和25年(1950)に事業は愛知県に引き継がれ、事業全体の見直しが行われた。27年(1952)から庄内川から離れたところを流れる現在の流路で開削工事が始まり、43年(1968)に概成した。

 延長約5㎞で幅が30~40mの水路を開削し、途中八田川と交差する所は新地蔵川が暗渠で伏せ越している。


八田川との交差点(立体交差)
下が新地蔵川、上の土手が八田川
◇地蔵川排水機場……令和5年(2023)
 平成23年(2011)の台風による豪雨の時、八田川と地蔵川が交差するか所周辺で217戸の床上浸水が起きた。このため、令和5年(2023)に地蔵川排水機場が建設され、大雨の時は一定水位を超えた水を地蔵川から八田川へポンプ排水をするようになった。


庄内川に流入していた地蔵川
昭和22年 1/25000


現 在





 2024/09/06