萩の名所
矢田川堤

 かつての矢田川北岸の小僧庵堤(現:成願寺二丁目から瀬古あたり)は萩の名所として知られ、多くの文人が訪れた場所である。名古屋から稲置街道(木曽街道)を北に進み、安井村で矢田川を渡ると萩の名所だった。城下から少し足を伸ばし、手軽に季節を味わうことができる景勝地だったのである。





 矢田川が中切や成願寺の南を流れていた頃の北側堤防は小僧庵堤と呼ばれ、松林がつづき秋ともなれば萩の花が一面に咲き乱れる名古屋の五十景の一つに数えあげられる名勝であった。

 小僧庵というのは、成願寺の米ケ瀬にあった小庵である。天明年間(1781~9)の頃から松林の中にあり、萩の花が咲き乱れる名勝で多くの人が訪れた。特に月見の時には賑わったという。

 この地に遊んだ文人の俳句を2・3紹介しよう。
 渡辺沙鷗は、次のような前書きと俳句をよんでいる。

(成願寺村絵図』
 「小僧庵という所から矢田川に出る道は萩原六町、松山五町である。
   守山にかかれというぞ萩の雨」

 1町は60間、109m強であるから、5町は約550m、6町は660mである。萩の花が咲き乱れる原っぱが600mの余、松林が500mも続いている矢田川に出る道。堤防からの眺望もすばらしい。おりしも雨が降ってきた。守山のあたりまでもが雨にけぶっている。
 近景のそぼ降る雨の中に咲いているかれんな萩の花を配し、遠景に雨にけぶる守山あたりの景を添えている雄大な句だ。


 横井也有も小僧庵を月見に訪れている。

山田川北岸 萩見 『尾張年中行事絵抄』
 ここ安井の里は萩の名所で、とりわけ中秋の明月の頃は安井の川原の月見といって、特に賑やかである。信濃にある田毎の月ではないが、堤防下の田に月が浮かんでいる。この近くの川魚をとる漁師の家に立ち寄る。
   井戸からもひとつ汲けり今日の月

 月が浮かんでいるのは田圃や川ばかりではない。井戸の中に浮かんでいる。その月を、つるべでくみとったという意の句だ。

 次の前書きと句も也有の句だ。
 安井の里は萩の名所である。風流を解する友を二、三人うちつれ、酒、さかなを用意して毎年訪れている。
   かはすての樽にもありてはぎの花
 川原に置いた酒樽のかたわらにも萩の花が咲いているという意の句だ。

 井上士郎も次の句を詠んでいる。
   萩ふくや塘は雨の大けしき
 雨にぬれる堤防一面に咲き乱れる萩の花、そこに雨がしとしとと降りそそぐという意の句だ。

 光音寺、安井、辻の3つの大字を萩野村と呼んでいた。これは小僧庵が萩の名所であるところから名づけられたものだ。

◇大正頃の様子
 『西春日井郡誌』(刊:大12年)には次のように書かれている。
「現今安井の堤防には遺存せるもの少けれども川中村大字成願寺字米ヶ瀬にはその遺跡と見るべき萩多く生じ殊に近年植ゑ付けしものもありて風致極めてよし。加ふるに附近の秋色はまた一段の美を添へ萩、薄、野菊の様々咲き満ちて遊覧の客を待つもの丶如し。」

 大正末期頃になると、矢田川堤防の萩は少なくなっていたが、少し北の米が瀬にかつての雰囲気が残っていたようだ。その後、昭和初期に矢田川の付け替えが行われて、今では完全に姿を消してしまった。

                            (故 沢井鈴一氏記述を補正・付記)





 2026/02/20