堀川には、尾張藩士が水泳の練習をする場所が設けられていた。レジャーとしての水泳ではなく、武芸百般の一つの水練である。 |
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堀川は、藩士の水練所としても使われていた。 「沢観音下堀川通西側堤下」に小屋を建てたと言うから、妙安寺の西、今の住吉橋の下流西岸あたりに着換えや休憩のための小屋を建て、その前の堀川で泳いだのである。 延享2年(1745)7月に、「五十人組」の水稽古のため小屋を建てている。小屋は毎年シーズン毎に建て、終わると壊す仮設のものであった。 五十人組とは、殿様に拝謁できる御目見(おめみえ)なので一応上士ではあるが、その中では軽い身分の武士で、警備や軍事を担当する番方である。泳法は鎧を着たまま泳いだり、水中での格闘などを訓練する古式泳法である。 異国船が出没し海岸警備が強化された嘉永4年(1851)10月 に、尾張藩は藩主慶勝が臨席して熱田の海で水軍の演習をしてい る。50隻で1艦隊を編成し、2艦隊100隻が参加する大規模なものだ。 この時小十人組(五十人組の別称)など200余人が、泳ぎながら扇に字を書い たり半弓(小型の弓)で鵜を射るなど、水練の成果を披露している。 |
2021/07/10 |
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