明治元年 天皇が休憩

明治天皇御駐蹕之所 碑
 昭和の初期、日本は軍国主義が盛んで武力を背景に東南アジアへ進出をはかっていた。その精神的な背景に天皇が利用され、明治天皇ゆかりの地には碑が建てられて皇威発揚が喧伝された。その一つがこの碑である。




    長良橋の東に「明治天皇御駐蹕(ちゅうひつ)之所」と刻まれた石碑が建っている。
 明治天皇が、明治元年(1868)12月に東京から京都へ還御する時に休憩した所で、碑は昭和9年(1934)の建立である。
 なお、「蹕」とは、貴人の通行するときの先払や天子の行幸の事である。
 

 このあたりは二女子(ににょうし)村で、『尾張徇行記』に「出町ハ笈瀬川橋(長良橋)ノ東ニアリ、餅菓子茶店ニアリ、其外商ヒ物モアリ」と記録され、正式の立場(街道の休憩所)ではないが旅人が休憩していた場所だ。


『佐屋街道分間延絵図』


 碑の脇には「国威宣揚」と刻んだ昭和12年(1937)10月建立の石柱もある。ちなみにこの年の7月に盧溝橋事件が起き、日中戦争が始まっている。いずれの碑も軍国主義が盛んだった時代、戦意高揚をもくろんで建てたものである。

 なお、ここから1㎞西(中川区長良町三)には、明治2年(1869)の東行の時に休憩した「明治天皇御駐輦(ちゅうれん)之所」〔昭和6年(1931)建立〕と刻まれた石柱もある。





 2024/03/01