名古屋俳壇の雄
跡地に建つ記念碑

横井也有 隠棲地
 名古屋の俳壇で活躍した横井也有は、隠居してから前津に暮らしていた。住まいは知雨亭と名付けられ、ここで多くの著作を残した。




 横井也有は、加藤暁台、井上士朗とともに名古屋三俳人の一人。

 『藩士大全』に拠れば、1200石取りの藩士で、元禄15年(1702)に生まれて、26才で家督を相続し、御番頭や寺社奉行などの要職を務めた。
 宝暦4年(1754)、53才でに隠居して前津に住むようになり、天明3年(1783)に82才で亡くなった。


『名古屋市史』

 住まいは知雨亭、あるいは半掃庵と呼んでいた。
 知雨亭の由来は漢書にある「巣居知風、穴居知雨」からとのことだ。巣で暮らす鳥は風を知り、狸や狐など穴で暮らすのは雨を知るという意味だが、自分を穴に潜んでいる狐に例えて穴居知雨から知雨亭と名付けた。半掃庵は無精で毎日掃除をしない事からの名付けとの事である。

 その著『知雨亭記』に閑静で風光明媚な前津の様子を、次のように書いている。
 「門を出でて東北の方、しばらく十歩の杖を曳けば、指頭萬疂の山横をれ、眼下千町の田連り、村落畫圖の中に入る、南は高倉の森高く、鳴海の浦風も通へばや、熱田潟も名のみして、夏は夏知らぬ日も多かり」
 旧宅跡地には、昭和10年に「横井也有翁隠棲之址」と刻んだ記念碑が建てられている。

 多才な人物で多くの著作を残し、代表作に俳文集の『鶉衣』がある。そのなかに収録されている「化物の正体見たり枯尾花」は「幽霊の正体見たり枯尾花」として広く知られている。





 2024/06/10