風景たぐいなき貸座敷
酔 雪 楼
 風光明媚な前津には、酔雪楼という貸座敷があった。広い庭園と座敷があり、城下からほど近く、書画会なども開かれる場所で多くの人が訪れた。明治になっても続いていたが、大正頃には廃業していたようである。




 前津の一画、万松寺の東南にあった料亭が酔雪楼である。

 『尾張名所図会』には次のように記されている。
 「醉雪樓 富士見の邊にあり。東郊にのぞめる亭にして、風景たぐひなき借座敷なり。書畫會等の雅筵を張るによろしく、遊人常にたゆる事なし。」

 『名古屋市史』によると、
 元は甘酒を売る店が所有していて甘酒長屋と呼ばれていた。その後、魚の棚の料理店である大惣が購入して詩客文人が遊ぶ場所にした。その後、宮崎氏の所有になり、明治10年(1877)頃は茶会が開催されている。
『市史』(地理編は大正5年刊)が編纂された頃は、荒廃したまま座敷も残っていた。

 酔雪楼の庭に辻惣兵衛が窯を築き陶器を焼いて酔雪焼と呼んでいた。その子である鉦二郎が跡を継いだが、明治12年(1879)頃に熱田の夜寒の里へ移転して夜寒焼を始めている。


酔雪楼 遊宴の図 『尾張名所図会』


酔雪楼での書画会風景 『尾張名陽図会』

『尾府全図』 明治2年




 2024/06/10