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山王稲荷(稲荷神社)の北を通る小栗街道を挟んだ向かい側、本町通(熱田道 美濃街道)との角に犬見堂があった。 犬御堂とも書かれるこの寺は、法淨寺華光院といい、真言宗の寺で大須真福寺(大須観音)の末寺である。 犬御堂とは変わった名だが、その由来について、『尾張名所図会』『正事記』『名古屋府城志』はさまざまな説を伝えている。 |
![]() {名古屋明細全図』 明治40年 |
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① 僧無開が諸国を行脚して修行していた。寿永年間(1182~85)にここへ来たとき、倒れて息が絶えようとした。その時、黒と白の2匹の犬が水を付けた草の葉をくわえてきて、無開の口に注いだので蘇生した。 無開はその地に草庵を建て、阿弥陀像と黒白2匹の犬の像を安置して犬御堂と名付けた。 ② 真言宗を開いた空海が高野山に登るときに2匹の犬が導いた。このため、高野四所明神の図には黒白2匹の犬が描かれている。 犬御堂はその形を模したもので、鎮守のために2匹の犬の像が置いてある。 ③ 昔、ある人が愛犬を連れて山に行き大きな木の下で寝ていた。犬が急に吠えかかり着物をくわえて引っ張るので、自分を襲うと思い刀で犬の首を切り落とした。首は木の上に飛び上がり、樹上にいた大蛇にかみついたので飼い主は命拾いをした。誤って犬を殺した飼い主は、犬のために寺を建立した。 ④ 昔、この地に大名(有力な武士)がいて鹿狩りで山の中に入った。家老一人しか近くにいないとき、家老は謀反を起こして大名に自刃を迫った。いよいよ自刃しようとしたとき、秘蔵していた愛犬が飛び出して家老を食い殺して助けた。その犬が亡くなった後、ここに御堂を建てた。 ⑤ 大名では無く、この地に住んでいた長者の犬に関した話。 ⑥ 犬御堂は、昔の道場(僧が修行するところ)であった。 |
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