人々が密集して暮らす大都市。衛生的で水害のない街づくりには上下水道が不可欠である。名古屋では明治の終から大正にかけて整備が進められた。 当初は集めた下水をそのまま堀川と新堀川に放流したので、たちまち川は下水溜りに変わってしまった。このため当時の日本ではまだ行われていなかった最新式の下水処理である活性汚泥法による処理場の建設が始められ、昭和5年から稼働し始めた。 |
大都市に必要不可欠 上下水道 | 下水処理場の建設 |
◇若宮大通建設で一部施設移転 戦災復興事業で若宮大通が建設される事になり、堀留下水処理場の一部が道路にかかる事になった。このため昭和38年(1963)に機械室を移転している。また処理場のシンボルとなっていた排気塔も撤去された。 ◇施設の増強 戦後の名古屋は急速に発展し、堀留処理場の流域である中区はとりわけ人や建物の集積が進み、汚水や雨水が増加し処理しきれない状況になってきた。 市街地にあるので用地の拡張が難しく、道路を挟んだ西側の久屋大通公園の地下に増設する事になった。昭和45年(1970)に着工し48年(1973)に完工している。 それまでは一日63,000㎥の処理能力であったが、旧施設も含めると270,000㎥の高級処理ができる施設になり、流入する下水の全量処理が可能となった。増設された施設の地上部には平成10年(1998)にランの館が造られ、現在はフラリエが設置されている。 ◇堀留水処理センターの廃止? 都心の一等地にある堀留水処理センター(下水処理場)は、令和元年(2019)に発表された「次期上下水道経営プラン2028案」では、「上部空間の高度利用化」が盛り込まれていた。翌2年(2020)の市議会では「今後の都心部のまちづくりと連携した水処理センターのあり方として、廃止も含めて検討します」と答弁がなされ、上下水道局・住宅都市局・土木局など関係機関で検討が進められている。 |
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◇いのくちポンプ 堀留水処置センターの北西角にポンプが展示されている。 これは熱田ポンプ所で昭和2年(1927)から52年(1977)まで雨水の排水に使われたポンプで井口ポンプと呼ばれるものである。 井口在屋は東京帝大の教授で、明治38年(1905)に渦巻ポンプの設計理論を確立し世界的な評価を得た人物である。教え子の畠山一清が実用化し、効率の高さから広く普及した。なお、ポンプ製造の大手、荏原製作所は畠山の経営していたゐのくち式機械事務所が母体となって大正9年(1920)に設立された会社である。 |
2024/05/20 |
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