はるかまで見渡せる眺望
富 士 見 原
 今ではビルが建ち並ぶビジネス街だが、かつて東側に精進川が流れる低地が広がる富士見原は、景色の良いのどかな場所であった。葛飾北斎の浮世絵にも描かれ、人々が凧揚げや月見などを楽しんでいたのである。


    開けた眺望は浮世絵にも   富士見原の月見



開けた眺望は浮世絵にも
 城下町の東南にある前津は東が一段低い精進川の流れる低湿地なので、田が広がりその向こうには山々が見える見晴らしの良い場所であった。また城下町から遠からず近からずなので、気軽に気分転換に行ける場所である。このため月見や凧揚げ、料亭での飲食や書画会の開催、富裕な武士や町人の別荘や隠宅があちこちにある場所であった。

 その風景は葛飾北斎の富嶽三十六景の一枚「尾州不二見原」にも描かれている。かつて富士見原の勝景は、名古屋で一番全国に知られていた風景かも知れない。

 なお、名古屋から富士山は見えず、さまざまな絵に富士山として描かれている山は、南アルプスの聖岳ではないかと言われている。


『尾州富士見原』 葛飾北斎


『名古屋明細地図』 余白掲載図 明治19年




富士見原の月見
 東側が開けて眺望が良い富士見原では、「三尊拝」(さんぞんはい)という月見が行われていた。

 『尾張年中行事絵抄』の解説は大略次のような内容である。

 上弦の月(下側が弓なりに輝いている月)が出るときに、月の中央部が山に遮られて左右に月の端が見え、その上に星が出ると、三尊仏のように見える。「廿六夜待」といって、これを見物に出る人が多い。
 三尊拝は江戸では7月に行われるが、名古屋では1月・5月・9月の年3回ある。1月は寒いのであまり人出がない。5月は夕涼みを兼ねて人出が多いが、夕立雲が山にかかる事が多く月の出が見えにくい。9月が三尊拝には一番良いが、少し油断をすると月が全部出て三尊に見えず拝む事ができない。

 『年中行事絵抄』にはその光景を描いた絵が収録されている。高台の富士見原では筵を敷いて料理を詰めた重箱が置かれ、瓢箪からお酒をついでいる。月見酒を飲みながら三尊が現れるのを待とうという趣向だ。東に広がる田の畦にも、たくさんの人が月の出を待っている。


富士見原 三尊拝  『尾張年中行事絵抄』

 昔は街なかでも夜は暗かった。お芝居で悪役が吐く捨て台詞に「月夜の晩ばっかりじゃないぞ」というのがあるが、月が出なければ真っ暗闇になる。家の中でも行灯のかすかな明かりが頼り。月の明かりは人々の暮らしの助けになっており、月は暮らしと一体のものだったのである。

 明治になり行灯よりだいぶ明るいランプが用いられ、ガス灯が、さらに電灯が普及し、夜でも十分な明るさが得られるようになった。今では月の明かりが暮らしを助ける事はなく、中秋の名月ぐらいしか話題にならない。月の明かりが価値を失った今の時代、このような行事や光景は思い浮かべることさえ難しくなってしまった。





 2024/06/07