加藤暁台も住んだ
暮雨巷(龍門園) 旧地

 現在、暮雨巷は瑞穂区陽明町にあるが、元は前津にあった。江戸時代には蕉風復興運動に尽力した久村暁台が住んでいたこともあり、その後に所有者が何度か変わり、現在に至っている。





 かつて大池町一丁目(上前津交差点の東付近)に龍門園と呼ばれる広い庭をもつ屋敷があり、中に暮雨巷と呼ぶ建物があった。暮雨巷は俳人として知られる加藤(久村)暁台(きょうたい)の住んだ建物である。

 加藤暁台は享保17年(1732)に尾張藩士の子として生まれ江戸屋敷で右筆をしていたが、脱藩して他国を流浪した後、明和年間(1764~72)に名古屋へ帰った。
 脱藩の罪を許されて久村姓を名乗り、納屋町や桑名町などに住み前津に草庵(龍門園・暮雨巷)を構え、井上士朗など名古屋の俳人たちと俳諧の改革(蕉風への復帰)を目指して活動した。多くの門人ができ、与謝蕪村等とも親密な交流があった。各地を巡遊し、安永年間(1772~81)からは、芭蕉がかつて滞在した幻住庵(現:滋賀県大津市)を活動の拠点とし、名古屋の暮雨巷には老母と妻が居住していた。
 寛政4年(1792)に61才で亡くなり、京都の大雲院に葬られた。

 暁台が住んだ暮雨巷は藩士である野崎氏の別荘だったが、荒廃していたのを暁台が購入して大修理して居宅にしたものである。
 文化年間(1804~18)の始め頃に城下屈指の呉服商水口屋の所有になり、その後転々と所有者が変わり、一時期は岡谷惣助や鈴木摠兵衛(材惣)が所有していた事がある。
 大正10年(1921)に瑞穂区陽明町に移築され、昭和38年(1963)に愛知県指定の文化財になっており、現在は三菱UFJ銀行の迎賓館に使用されている。





 2024/06/10