明治元年、天皇が東行される途中、八丁畷で農民が稲を収穫する様子を御覧になった。それを記念する石碑が2本建立され、現在は東ノ宮境内に移設されている。 |
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明治天皇は明治元年(1868)9月、京都から江戸へ行幸した。 9月26日は佐屋街道経由で熱田に到着し西浜御殿で宿泊、翌27日は熱田神宮に参拝し一路江戸へ向かった。途中八丁畷で農民が稲を収穫する様子を御覧になり、その夜は鳴海宿で泊まっている。 収穫を御覧になる様子を描いた「農民収穫御覧」が明治神宮聖徳記念絵画館に収蔵されている。農民が収穫している前の東海道に鳳輦が止められている。その前で跪いているのは岩倉具視で、収穫した稲を天皇に見せているのだ。その右手で平伏しているのは徳川慶勝とその子で尾張藩主の義宜(徳成、当時11才)である。 なお「農民収穫御覧」を描いた森村宜稲は、日置橋の擬宝珠の撰文をした森村宜民の子で、明治4年(1871)に誕生し昭和13年(1938)に亡くなっており、描いたのは昭和初期である。東区東桜一にある大和絵美術館の森村記念館は、宜稲とその子の宜永の旧宅である。 |
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作業が終わった農民たちには、ねぎらいに菊の紋章が押された饅頭が配られた。饅頭を作ったのは当時は熱田神宮南の布曝女(そぶくめ)町に店を構えていたつくは祢屋(つくばねや、現:昭和区阿由知通)である。京都の御用菓子商である黒川・川端家の指導のもと約3,000個を作ったという。 跡地に「明治天皇覧穫之所」碑が大正2年(1913)に建てられ、昭和9年(1934)には「明治天皇八丁畷御野立所」碑が建てられた。現在は少し南の東ノ宮神社境内に移設されている。 |
東ノ宮神社境内 |
東ノ宮神社境内 |
『農民収穫御覧』 森村宜稲画 |
絵葉書 昭和2年頃 |
絵葉書 昭和2年頃 |
2023/07/09 |
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