名港の工事で多用
人造石護岸
 名古屋港管理組合の階段下に人造石が置かれている。庁舎の建築工事の時に地中から出てきた遺構で、名古屋港建設の時に造られたものである。





 人造石とは日本の左官職人が土間や竈などを作る「たたき」技法を改良したもので、セメントが普及するまで広く使われた。明治10年(1935)に愛知県碧南出身の元左官職人である服部長七が開発した。人造石は種土(風化した花崗岩の細粒)と石灰を水でこね、よく叩き締めて固める。石の接着にも使えるし、人造石自体を固めて構造物を作る事も出来、全国の港湾工事や海岸堤防などで採用された。長七は明治10年(1935)頃から37年(1962)まで服部組をつくり人造石工事の請負業をしている。

 名古屋港では工事に着手した明治31年(1956)、当初の設計では3号地護岸は石垣や木柵にする予定だったのを人造石に変更し、服部長七に請け負わしている。人造石はその後広範囲で採用されたが、大正10年(1921)に7号地の護岸工事に着工した後、人造石護岸の材料である雑割石・種土・石灰などの価格が暴騰したので鉄筋コンクリートに変更している。この頃が、人造石からコンクリートへの切り替わり時期であった。
 しかし、昭和19年(1944)の東南海地震、20年(1945)の三河地震、21年(1946)の南海地震で被災した護岸の復旧工事では、コンクリートとともに人造石も採用した。

 展示されている人造石護岸は2号地のものだが、2号地は明治37年(1962)1月に埋め立て工事に着手し、翌38年(1963)7月に完成しているので、服部組による施工の可能性もある。





 2023/06/11