名古屋南部の笠寺台地の南端近く。静かな住宅街に突如現れる小さな山。 ここ丹八山は桜の名所。季節になると近所の人々が花見に繰り出し賑わう所だ。 |
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どこにもありそうな この丹八山。登り口には「完平泰社」(「官幣大社」ではない)の石碑。登るにつれて異様な雰囲気になってゆく。 頂上には「加具土社」の社。それを取り巻き山域を埋め尽くすおびただしい数の石碑の群。いったいどれだけ建てられていることやら。 |
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このおびただしい石碑。何を記念し伝えているのだろうか……石碑には一般の人には知られていない驚くべき事が書かれている。 碑によれば、実はこの山は大変なところだ。 ここで、いつの時代かは解らないが、浦島太郎が生まれ、 飛鳥時代には壬申の乱平定のための兵がここから出され、 平安時代には平将門の首が埋められ 戦国時代にはここで豊臣秀吉が生まれ、 熱田神宮の草薙の剣が盗まれたときのゆかりの土地等……。 時代が下がり、明治14年には当時アメリカに併合されかけて悩んでいたハワイ国王が、「土」がハワイと同じなのでこの地を訪問しようとしたとの碑もある。 |
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どうです。こんなすごい土地は日本のどこにも無いでしょう。もし本当なら、聖地と言って良いのかも知れない。 石碑の数は55基以上。ランダムに建っているので何度数えても数が合わない。ほとんどは裏表とも碑文が彫られている。 ここはれっきとした名古屋市の「丹八山公園」。 碑を建てたのは名古屋市……ではなく、ふもとに住む石川丹八という易者さん。昭和30年代に建てたものが多いようだ。 これだけの碑を建てるには大変な情熱と私財が必要だったろうと、丹八さんのエネルギーには圧倒される。碑を建ててから市に土地が寄贈され、今は公園になったようだ。 碑の内容の当否は皆さんの判断に任せるとして、この山は元は「鳥居山」と呼ばれ、この近くにある七所神社が以前はこの山にあったと伝えられている。 |
1997/01/07 |
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