温泉娯楽施設
公園に変わった跡地

泉 楽 園
 昭和3年、市街地へと変わろうとしている道徳新田に、泉楽園という温泉娯楽施設が開園した。同じ頃、中村区では名古屋花壇という同じような内容の娯楽施設ができている。

    温泉娯楽施設 泉楽園   泉楽園と名古屋花壇



温泉娯楽施設 泉楽園
 泉楽園は人工温泉の温泉旅館である。開設されたのは昭和3年(1928)で、中京付近に温泉がないのを残念に思い、同感の者100余名で名古屋桟橋倉庫と東邦電力の支援を得て(株)泉楽園を設立したとのことである。

 『泉楽園温泉全図』を見ると、21の部屋、山ノ湯・濱ノ湯・白湯といった温泉施設、食堂、売店、娯楽室が日本庭園を取り囲んで設けられている。娯楽室では玉突(ビリヤード)・楊弓・ピンポン・将棋などができ、屋外には児童遊具や小鳥園、釣り堀、大弓場、噴水もあった。

 『名古屋市鳥瞰図』では次のように紹介している。
 「本市に於ける.有数なる温泉遊楽境にして、割烹を兼ね靜穩、閑雅、本館初め離座敷あり。浴場7ヶ所、娯楽設備は完備し、家庭的清遊を旨とし、猶ホテル式旅館をも營む。茶代祝儀辭退にして.温泉に浸りなから1日の清遊には好適の理想郷なり。」

 残念ながら、昭和19年(1944)12月7日の東南海地震で建物が倒壊・焼失し、敷地は大同製鋼の寮などを経て平成4年(1992)に泉楽公園に整備された。

 なお東南海地震では、ここから900m東にあった三菱重工名古屋航空機製作所道徳工場で多くの犠牲者が出ている。日清紡の工場を転用して軍用機を製造していたが、勤労動員された学生など51人と、朝鮮から強制連行された女子勤労挺身隊員6人が亡くなった。昭和63年(1988)に慰霊碑が跡地に建立され、日清紡の撤退に伴い、現在は名南ふれあい病院駐車場に碑がある。


『名古屋市街全図』 昭和12年


泉楽園温泉全図
『道徳の昔と今』に加筆



泉楽園と名古屋花壇
 泉楽園と同じ頃、中村区の旭遊郭(名楽園)の南に名古屋花壇ができている。
 昭和3年(1928)に開園し、中村温泉パラダイスとも呼ばれた。開設したのは旭遊郭を大須から大門に誘致し、笹島から路面電車を運行した名古屋土地(株)である。
 施設は映画館・演芸場、ラジウム温泉の入浴施設、食堂と料亭、屋内運動場やピンポン場などで、屋外には児童遊具・動物園・花壇などが設けられていた。また高さ75mの鉄塔を建設する計画だったが、これは資材が調達できず造られないままで終わった。

 市の南部にある泉楽園と、西部にある名古屋花壇はコンセプトがほとんど同じである。
 家族で一日楽しめる温泉を中心としたアミューズメント施設だ。それに加えて泉楽園は少し北に観音山、名古屋花壇は敷地内に大鉄塔を造って高所からの眺望を楽しませ、併せてランドマークとする構想である。 また名古屋花壇はすぐ北に名古屋を代表する遊郭があり、泉楽園はそれと全く同じ街区が北東に造られている。

 この時代に人々が求めたレジャーの最大公約数を求めると同じ内容になったのかも知れないが、中村遊郭と名古屋花壇の方が少し早く造られており、道徳地区のレジャーランド構想の元となった可能性が高い。


泉楽園
『名古屋市街全図』昭和12年


名古屋花壇
同左


泉楽園
 ドーム状のものは観音山
『名古屋市鳥瞰図』 昭和12年頃


名古屋花壇
大鉄塔が描かれているが、実際にはない
同左




 2023/10/22