大観音像・滝・スケートリンク
かつて観音山の
麓に建っていた像
東昌禅寺

観 音 山
  観音公園の北ブロック、今は住宅街になっている所に、人工の山の頂上に大きな観音像が建つ道徳観音山と呼ばれるレジャー施設があった。造ったのは観音山組合である。





 観音山は高さ18mある人工の山だ。
 鉄筋コンクリート製で内部が2階建ての植木鉢を伏せたような形の構造物を造り、周りに土盛りをして植栽がしてあった。山頂へ登るスロープが設けられており、頂上には高さが6m位の楊柳観音像が建っている。山の内部は1階がスケートリンクになっており、2階にはダンスホールを造る予定だったが、市の許可が出なかった。山頂からは12mの滝が下に設けられているプールに流れ落ちていた。

 山ができたのは昭和5年(1930)で、6年(1931)にプール、7年(1932)にスケートリンクも完成した。
 観音像を造ったのは、道徳公園のクジラ像や聚楽園大仏などを手がけた後藤鍬五郎である。初代の像は木造の芯で石膏製、2代目は鉄骨の芯に鉄筋と金網を付けたコンクリート製で表面はメタリコン(金属を混ぜた塗料)塗装がしてあり、昭和10年(1935)に完成し翌年開眼式を行っている。

 スケートリンクについて、令和4年(2022)2月5日の中日新聞に「フィギュア王国・愛知の原点」というタイトルでスケートリンクについて概略次の主旨が書かれている。
 ・名古屋最初のスケートリンクで一周60mほど
 ・周りに複数の喫茶室があり賑わっていた
 ・毎週月曜の夜は競技に参加する選手の練習専用になっていた
 ・昭和9年(1934)7月には、2年前のレークプラシッド五輪にフィギアスケートで出場した老松一吉さんを招待して大会を開催
 ・戦時体制が進むなか、昭和14年(1939)に閉鎖。リンクを閉鎖した後は、氷の製造に使われている。

 観音公園は名古屋桟橋倉庫所有の公園として造られ、昭和18年(1943)に名古屋市へ寄付された。39年(1964)に名古屋桟橋倉庫が解散するときに山頂の観音像も山も取り壊され、麓に安置されていた観音像は近くの東昌寺に移設されている。

 観音公園に「我等と共に」と刻まれた石碑が建っている。伊勢湾台風の翌年昭和35年(1960)9月に道徳学区公民会が建立したものである。
 「干拓から百四十年、幾多の災害が繰り返された。これらを肝に銘じ亡くなられた方の霊が常に自分たちと共にあることを信じ、よすがとする」という趣旨で建てたという。


昭和31年 1/10,000

観音山の観音像と滝・プール
『道徳の昔と今』


「我等と共に」碑





 2023/10/22