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瀬戸電の本社前駅から森下駅までの区間は、線路沿いに大曽根の魔窟と呼ばれる売春街があった。昭和10年に下飯田に移転して城東園になり、瀬戸線も戦災復興事業で大きく位置を変え、今では全く痕跡を残していない。 |
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昭和初期、瀬戸電の森下駅から本社前駅(下街道と瀬戸街道の分岐点東、現在は駅前広場)の間、線路沿いは大曽根の魔窟と呼ばれる売春街になっていた。 『東大曽根町誌』によると次のような様子であった。 路地の両脇には間口が1間から2間(1.8~3.6m)の家が建ち並び、軒先にはうどん・しる粉・酒肴などと青地のガラスに白字で書かれた軒灯が掲げられていた。暖簾をくぐって入ると、2~3坪の土間になっていてリンゴ・ミカン・ラムネなどが置かれたテーブルと3~4脚の椅子があった。 |
![]() 『名古屋市街全図』 昭和6年 |
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椅子には女性が座っていて、頭は銀杏返し・断髪・束髪で事務服や水兵服を着て、暖簾越しに通行する人ヘ声をかけて呼び込んでいた。昭和6年(1931)に警察が検挙して一時衰退したがすぐに盛り返し、多いときには100軒以上が営業し500人以上の娼婦がいた。 昭和10年(1935)2月に下飯田へ移転して城東園として開業したことで、瀬戸電沿線の魔窟は消滅した。 その後の戦災復興事業で瀬戸線の通る位置も大きく変わり、今では昔の様子は思い浮かべることもできない。 |
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