川中三郷
地震での被害

 川中三郷は庄内川や矢田川が運んできた土砂が堆積した地域だ。柔らかい地盤なので、安政東南海地震や濃尾地震で被害を受けている。




◇安政東海・南海地震での被害
 嘉永7年(1854、安政元年)11月4日に東海地震、翌5日に南海地震が発生した。
 『松濤掉筆』に、筆者の奥村德義宅へ成願寺の真性房(住職?)が後日訪問して話した地震時の様子が記録されている。

 「大地震之日、当村之前矢田川ハ冬気水なく、仮り橋ハ懸りても砂河原一面に歩行(ある)かるゝ事也。然る処、大震に成て川巾一盃ニ水涌流るゝ。堤ハ中腹よりわれて薄濁り之水わき流るゝ。仮橋ハ高く立たりし橋杭を川底へ引込む。川原之砂処々山もりに高く成、今以其姿現存せり。」

 冬期で水量がなかった矢田川は、地震による湧水で川幅一杯の水が流れ、堤防にも亀裂が入って濁水が湧きだし、橋脚は沈下し、噴砂も発生したとのことである。

◇濃尾地震での被害
 明治24年(1891)10月28日にこの地方を襲った濃尾地震では、地盤が軟らかい沖積地である名古屋北部でも大きな被害を出している。

 下左の写真は川中村成願寺の状況。右端に写っているのは被災後の仮小屋。中央奥の竹藪は、小屋の横にあったのが地震により20間(36m)移動したという。
 下右の写真は道路にできた亀裂の状況。右に写っている家は、幸い倒壊していないが道路は多くの亀裂が走っている。なお、脚注には「川中島」となっているが「川中村」の誤植であろう。



『濃尾大震災写真帖』



『濃尾大震災写真帖』




 2026/03/06