七里の渡し跡の北側に、2軒並んで昔の雰囲気を残す建物がある。丹羽家住宅と熱田荘である。江戸時代末期の脇本陣格旅籠屋と明治中期の料亭で、かつて渡し場が賑わっていた頃は、このような建物が建ち並んで旅人を迎えていたのであろう。
丹羽家住宅
熱田荘
丹羽家住宅
元は脇本陣格の旅籠屋であった「伊勢久」で、江戸後期の建築である。昭和59年(1984)に市の文化財に指定された。
市のホームページ「なごやの文化財」には次のように書かれている。
東海道「宮」の宿。旧七里の渡しの船着場に面して建っていた旧旅籠屋「伊勢久」。
文化5年(1808)の棟札があったといわれることから、建築は19世紀前半と思われる。
丹羽家は、東海道の主要な宿駅であり、桑名への渡しの渡船場であった宮宿(熱田)の脇本陣格の旅籠であった。破風付の玄関は、その格式のある面影を残しており、西国各大名の藩名入りの提灯箱も保管されている。
天保12年(1841)森高雅画の「尾張名所図会・七里渡船着」に、丹羽家と思われる旅籠屋が描かれいる。
『尾張名所図会』
熱田荘
元は料亭「魚半」の建物で明治中期の建築である。昭和60年に市の文化財に指定された。
市のホームページ「なごやの文化財」には次のように書かれている。
旧七里の渡し前に建てられた料亭。近世の町屋を継承している。
明治29年(1896)上棟の旨の棟札があり、旧七里の渡しにおいて「魚半」という屋号の料亭と仕出し屋を営んでいた。
昭和29年(1954)に三菱重工業の所有となり社員の厚生施設として使用されている。
主屋部分は一部改造されているが、構造材は全て残されており、旧状をよくとどめている。伝統的町屋の形態を継承しており、宮の宿の近世的景観をしのばせる遺構となっている。
なお、現在はグループホームに使われている。
2023/06/16