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◇10分間で → 死者:2,068人 負傷者:1,944人
市の統計課資料では、死亡者が2,068人、負傷者が1,944人だが、これは犠牲者のうち当時把握できた一部の数字の可能性もある。
当時動員学徒として働いていた人の手記には「従業員名簿も勤務票も粉砕され、焼失した両工場は、当日の正確な従業員数も出勤者数もわからなかった。正規社員の2倍以上の学徒、10倍以上の徴用工員が働き、当日逃げ出したまま故郷に帰ってしまった徴用工員も大勢あることから、事態はますますわからなくなったのである。」と書かれている。
ちなみに『名古屋空襲誌』に、市統計課や県防空総本部の資料、日誌や新聞記事などを集めて集計した空襲一覧が掲載されているが、終戦までの犠牲者は7,858人、負傷者は10,378人である。死者の26.3%、負傷者の18.7%が6月9日の10分間の空襲によるものであった。
◇新聞報道……被害は若干
この大空襲について、翌10日の中部日本新聞(現:中日新聞)は次のように報道している。なお、続報はない。
「B29主力、兵庫地区へ 一部数十機、中京(南部)暴爆
南方基地の敵B29編隊は9日午前7時半ごろから熊野灘より本土に侵入、主力をもって兵庫地区に来襲し大津方面より志摩半島南方に脱去、
一部数十機は奈良、近江八幡を経て岐阜県南部から名古屋付近に侵入、同市南部方面に主として爆弾を投下して同十時ごろ遠州灘から脱去した、
〈中略……他地域への米軍機侵入の記事〉
東海軍管区内における被害は名古屋市南部方面の一部その他航空基地若干で損害及び戦果は取査中である」
☆『名古屋空襲誌』
熱田大空襲はもちろん名古屋の空襲について、当時体験された方のお話しなども含め非常に詳しく収録されています。ぜひ一読される事をお勧めします。
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