|
東加藤の屋敷に天文16年(1547)から3年間、竹千代(徳川家康の幼名)が暮らしていたことがある。竹千代が数え6才から8才までである。
三河を支配していた松平広忠(竹千代の父)は今川義元と手を結んで織田氏に対抗しようとした。その証として竹千代を駿府(現:静岡市)の今川氏へ人質として送ることにしたが、その役を担った戸田康光(田原城主)が竹千代を織田信秀(信長の父)へ1000貫文(500貫とも)で売ってしまった。尾張に連れてこられた竹千代は信秀の命で東加藤が預かることになった。
天文18年(1549)に竹千代は帰された。この年、織田信秀の息子信広(信長の庶兄)が安城での戦いで今川方に生け捕りとなってしまい、人質交換で解放されたのである。しかし岡崎へ帰ったのではなく、人質として今度は今川氏の元で暮らすようになった。岡崎へ帰ったのは桶狭間の戦いの後で18才の時である。
※尾張で人質生活を送った場所は万松寺とする説もある。
|