熱田高校の南にある祐誓寺に、愛知機械工業の殉職者の碑がある。 愛知機械工業の前身は愛知航空機で、昭和20年の熱田大空襲の時には大きな被害を受けたくさんの犠牲者が出た。また。戦中戦後の苦難の中、殉職した職員も多い。その精神を伝える為に建てられたものである。 |
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昭和18年(1943)、愛知時計電機(株)から分離して愛知航空機(株)が設立された。昭和20年(1945)6月9日の熱田大空襲では白鳥橋近くの千年工場や船方工場、さらに永徳工場も空襲され、たくさんの犠牲者を出している。 空襲や戦中・戦後といった苦難の時代に殉職した580余人の愛社精神や不屈の精神は尊いもので、残された教えをを世に示し伝えてゆく為にこの碑を建立したとの事である。 愛知航空機は昭和24年(1949)に新会社の新愛知起業(株)になり、27年(1952)に愛知機械工業(株)に改称している。 この碑は、元は愛知機械工業の構内にあったが、ここへ移設された。 碑には次の文字が刻まれている。 殉職者之碑 昭和十八年愛知航空機株式會社ヲ創立シ 航空機ノ製造ヲ以テ能ク太平洋戰爭ノ要請ニ應シタルカ 不幸戰局日ニ利アラス 工場亦敵火ニ損壞シ戢戰(終戦)ト共ニ事業頓ニ中絶セリ 戰後世局ノ艱難交臻(臻…あつまる)リ 社業ノ轉換又実ニ容易ナラサリシカ 社員克ク戮力(りくりょく=協力)シ克ク辛酸ニ耐ヘ 以テ社業ヲ既倒ニ回シ(形勢を元に戻し) 漸ニ今日ニ迨(およ)ヘリ 此ノ間 或ハ職ニ盡瘁シテ中道ニ殪レタルモノ 或ハ職場ヲ死守シテ壯烈戰火ニ玉碎シタルモノ 前後殉職ノ士 実ニ五百八十有余人ニ及ヘリ 嗚呼其ノ烈々タル愛社ノ誠心 敢鬪奮テ社難ノ打開ニ盡シタル剛健不屈ノ努力 共ニ以テ後進ノ亀鑑トスヘク 敬仰極マリ罔(な)シ 茲(ここ)ニ殉職者ノ碑ヲ建テ 謹ミテ其ノ遺風ヲ宣揚シ 永ク之ヲ承持シテ以テ 社業ノ大成ニ資セムトス 愛知機械工業株式會社 取締役社長 五明得一郎 |
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2022/04/04 |
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