地域の守護
番割観音堂
 広大な熱田新田は33の区画に分けられ、それぞれに観音堂が設けられた。今も観音堂は地域の人々の手で維持され、心の拠り所となっている。

    熱田新田の番割観音   四・五番観音   六・七番観音
    八・九番観音   十・十一番観音   十二・十三番観音



熱田新田の番割観音
 熱田新田は、区域を33に分けて、東から一番割・二番割……というように区分していた。
 この各割ごとに守護仏として西国三十三観音を模して祀り、○○番観音と呼んでいた。

 番割観音について『小治田之真清水』は次のように記述し、熱田新田が完成した翌年の慶安元年(1648)に創建されたとしている。
 「三十三所観音。 熱田新田にあり。慶安元年の営建なり。当新田ハ熱田の木芽渡(現:白鳥橋)より万場川(庄内川)まで東西三十余町あり。其間に民居一群づつ三十三所にわりて住めり。東より一番二番とついで、西のはてを三十三番とす。その番毎に観音堂一宇ツヽ建立して西国三十三所の観音に擬す。依てはじめの村を一番割中程を十六番割などやうによべり」

 昭和62年(1987)刊行の『名古屋市港区誌』には「今でも毎月第三日曜日になると、熱田区などの善男善女の一団が観音講のたすきをかけて巡礼する姿を見ることができる。」と書かれている。


熱田新田の三十三番割 『愛智郡 名古屋西』

◇四~十一番観音周辺の変遷

江戸時代 『熱田新田村絵図』



明治25年 1/50000

現 在



四・五番観音

 熱田区四番一丁目にある。
 四番観音は大阪府和泉市にある施福寺、五番は大阪府藤井寺市にある葛井(ふじい)寺の、いずれも「十一面千手千眼観世音菩薩」である。お堂の軒下にはそれぞれのご詠歌が掲示されている。

 本堂左手の小堂には「延命重軽地蔵」が安置されているが、前面に格子があり、今は占いには使われていないようだ。
 その外に、境内には「熱田御新田稲荷」と宝塔が安置されている。




六・七番観音
 熱田区六番一丁目にある。
 六番観音は奈良県高取町にある南法華寺(壺坂寺)の「十一面千手千眼観世音菩薩」、七番観音は奈良県明日香村にある岡寺(龍蓋寺)の「如意輪観世音菩薩」である。

 境内に「大矢橋」の親柱が保存されている。大矢橋はお堂のすぐ西側の南北道路の所を流れていた江川に架かっていた橋である。




八・九番観音
 熱田区八番町にある。
 八番観音は奈良県桜井市にある長谷寺の「十一面観世音菩薩」、九番観音は奈良にある興福寺南円堂の「不空羂索観世音菩薩」である。

 お堂の前に百曲街道の道標が建っている。正面に並んで「あつた なこや」と彫られているが、方向が合わないので他所から移設されたものである。右側面には「万吉」の文字が見られる。




十・十一番観音

 中川区十番町1丁目にある。
 十番観音は宇治市の三室戸(みむろと)寺の「千手観世音菩薩」、十一番観音は京都市にある上醍醐 准胝(じゅんてい)堂(醍醐寺)の「准胝観世音菩薩」である。

 境内に浅野祥雲作のコンクリートでできた弘法大師像と十一面観音像がある。
 弘法大師は昭和48年(1973)9月、十一面観音は同年11月の建立である。平成29年(2017)に化粧直しがされているので比較的良い状態に保たれている。

◇浅野祥雲とは
 像の作者である浅野祥雲は、昭和初期(1926~)から40年(1965)代まで活躍し53年(1978)に87才で亡くなった、この地方のコンクリート像製作の第一人者である。

 祥雲については『コンクリート魂 浅野祥雲大全』(著:大竹敏之)に詳しく紹介されている。
 祥雲は明治24年(1891)に現在の中津川市で生まれ、父親が農業の傍ら土人形を製作する職人だったので、後を継ぎ土雛などを作っていた。
 土人形の需要が減少したため、大正13年(1924、33才)に塑像作りで生計を立てることを目指して名古屋へ移住した。当初は映画館の看板、陶製のお面などで生計を立てたが、土人形の技術が生かせるコンクリート像で頭角を現し、昭和初期(1926~)から五色園(日進市)、兵士慰霊像(覚王山、南知多町の中之院)、桃太郎神社(犬山市)、関ケ原ウオーランド(関ケ原市)、熱海城(熱海市)などの大規模施設や東海地方各地の神仏像や人物像を製作した。上記のうち兵士慰霊像以外はいずれも現在のテーマパーク的な要素が強く、一時期は多くの観光客を集めている。現在のレゴランドやジブリパーク展示物の先駆けと言えよう。昭和53年(1978)に亡くなる直前まで製作に尽力していた。手伝った人はいるが弟子はとらず、一人で製作に励んでいたという。

 製作した全数は不明だが、『コンクリート魂 浅野祥雲大全』に掲載されているのは758体で、これ以外にも未発見のものがある可能性が高い。著者の大竹氏は[祥雲のスタンスや活動ぶりは「昭和の円空」と呼ぶにふさわしい。]と書いている。










十二・十三番観音

 港区須成町3丁目にある。
 三十三観音のほとんどは百曲街道沿いやその近くに祀られたが、十二・十三番観音堂は街道から離れている。
 現在は民家のような一つの建物の中に二つの観音が祀られており、十三番観音は建物内にある元は屋外に建っていたと思われる古いお堂の中に安置されている。
 十二番観音は千手観音、十三番観音は如意輪観音で、いずれも弘法大師像が脇に置かれている。


十三番観音が祀られている
屋内のお堂


十二番観音


十三番観音




 2024/01/10