黒川・庄内川で瀬戸へ
内国通運会社 荘内川運漕所
 黒川をつかって輸送した会社は、犬山との輸送を行った愛船(株)が知られているが、それよりも早くから庄内川運漕所が瀬戸との輸送を始めている。
 瀬戸で造られた陶磁器の輸送費削減を目的に航路を開いたが、輸送量などの詳細はわかっていない。

    黒川開削直後 会社設立   黒川・庄内川岸に5か所の営業所   設立直後に営業開始



黒川開削直後 会社設立
 明治10年(1877)9月(資料により10月)に黒川が開削された。
 『瀬戸市史 資料編』などによると、開削された黒川と庄内川を使って運送業を営む会社の設立が、10年12月20日付で県に届出されている。「内国通運会社荘内川運漕所」で、届出者は名古屋桶屋町(現:中区錦二)居住の運漕所惣代長坂正身となっている。



黒川・庄内川岸に5か所の営業所
 設立地は下水野村字半四郎屋敷になっているが、「塩町朝日橋際」(現:西区城西)が業務の中心地だったようだ。

◇5か所に営業所
 朝日橋の他に、東志賀村(現:北区志賀町)、瀨古村(現:守山区瀬古)の元杁(庄内川からの取水口)際、下水野村字入尾(現:瀬戸市鹿乗町)、玉野村(現:春日井市玉野町)に運漕所が設けられたようである。

◇瀬戸から庄内川まで 道路整備
 この輸送路の開発と共に、瀬戸から下水野までの車道の整備を県に申請している。
 水陸の輸送を改善し陶磁器の生産販売にかかる名古屋・瀬戸間の輸送費削減を図るとして計画し、明治11年(1878)に許可が出ている。


設立直後に営業開始
 明治10年(1877)発行の『愛知県名古屋明細図』には、余白に内国通運会社の施設一覧が掲載され、「黒川運漕所 新規掘割黒川筋春日井郡下水野村字入尾迄ノ物貨ヲ扱フ」と書かれており、黒川開削後すぐに輸送業務を始めたようだ。

 明治19年(1886)発行の『名古屋明細地図』を見ると、朝日橋の南西橋詰に「一印」と記載されているが、凡例に一~十印は内国通運と書かれており、庄内川運漕所の朝日橋際の事務所(黒川運漕所)である。


『愛知県名古屋
明細図』
明治10年

『名古屋明細地図』 明治19年

 荘内川運漕所は、明治19年(1886)に開業した愛船㈱による犬山と名古屋を結ぶ舟運よりずっと早く、黒川開削後すぐに名古屋と瀬戸の輸送業務を始めた。しかし輸送した品物や量などの記録が見つからず詳細が分からないのが残念である。





 2022/11/26