下町の生活に根付く   
  浅間神社(中橋裏) 
 

 中橋のすぐ西、四間道に面して鎮座するのは浅間神社である。
狭い境内だがうっそうと大木が繁り、いかにも霊気がただよう雰囲気だ。

    江戸初期にこの地へ   下町の人々を支えて   なつかしい 井戸とポンプ

江戸時代初期に この地へ遷座
    この神社が、どの地から遷されたかについて諸説ある。
 『名古屋市史』は府下瓶町にあったものを、正保4年(1647)に移したとしている。併せて『尾張志』の名古屋広井村の阿原という地より正保4年に遷したとしいう説と、『尾張年中行事絵抄』の春日井郡の河原村(現:清須市)より遷したとする説も紹介している。

 祭神は木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)である。
 神話では、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻となり、海彦・山彦を産んだとされる神で、富士山がご神体だ。
 浅間社は全国に1300社あり、総本社は富士宮市にある浅間大社だ。富士山頂にある神社は大社の奥宮で、火の神、水の神、酒の神といわれている。

 境内社は『尾張志』では稲荷社・恵比須社・天満天神社の3社が挙げられ、『名古屋市史』では秋葉社と明治8年創立の津島社が増えている。現在は末社には含まれていないが八大龍王神も祀られている。
 



下町の人々を支えてきた神社
   『尾張年中行事絵抄』には祭礼の様子を「氏子中の献燈数多にして、殊にぎわしと」記録されている。
 境内は決して広くはないが、鬱蒼と楠や欅の古木が茂り、都心にありながらいかにも清々しい雰囲気を醸している。灯籠の一つには神社でありながら仏教に由来する干支が刻まれており、冨士浅間神社などにも存在するが珍しいものである。
 市内に散在するほとんどの神社は、参拝する人も少なく掃除が行き届かない所もあるが、この浅間神社はいつもきれいで社頭にぬかずく人の姿もよく見かける。いかにも下町らしく、永年地域の人々の生活の中に根を下ろしていることを感じさせる。

   『尾張名所図会』
 雨の四間道風景。供を連れた武士が浅間社の前を通りがかっている。神社の境内は今と同じように大きな樹が茂り、連なる蔵の屋根越しに五条橋が見えている。
   
中橋裏浅間社試楽(お祭)  『尾張年中行事絵抄』
左端が浅間社 右端が中橋


なつかしい 井戸と手押しポンプ
   この神社には、手水鉢の横に井戸がある。
 水道がない昔は、どこの神社にも手水鉢とセットで井戸があったはずだが、今ではすっかり姿を消してしまった。
 井戸には赤錆びた手押しポンプが据え付けられている。「DORAGON NAGOYA KAWAMOTO」の文字が浮き彫りになっている。大正8年(1919)創業で大須に本社を構える川本ポンプの製品だ。「ドラゴン」の商標を使い始めたのは昭和30年(1955)からで、今は動力ポンプの大手メーカーだが家庭用手押しポンプも作り続けており、やはり「ドラゴン」商標を使っている。



 2007/10/17・2021/02/10改訂