落し石で作られたお地蔵さん
観音寺(露橋町)

 お堂の前に石造りの役行者像と名古屋築城の時の落し石で作られたと伝えられる大きな石地蔵が祀られている。小さな寺だが、人々の生活に密着していた歴史を感じさせる寺である。





 観音寺は曹洞宗の寺であるが、一見したところではあまりお寺らしくない建物である。お堂の前右手には役行者と思われる石像があり、光背には「文政四辛巳三月七日」(1821)と文字が彫られている。左手には石の地蔵が安置されている。
 お堂の中は暗くてよく見えないが、中央にくすんだ色の観音像が鎮座し、黄金色に輝く三十三観音と思われる像が左右に並んでいる。

 この寺は村絵図に描かれてなく、『寛文村々覚書』『尾張徇行記』にも記載がない。そもそもこの露橋村は、神社は神明社・斎宮司(社宮司)の二社が記載されているが、寺の記載がない村であった。寺としての記載はないが、「観音堂前二女子立合杁」という記述があり、昔から観音堂があったのである。





◇落し石の地蔵
 『中川区風土記』(『中川区史』別冊)に、この地蔵は築城時の落し石で造られたという話が載っている。

 近くを流れる笈瀬川の岸に人の背丈よりも大きな石があった。毎夜その石から赤ん坊の泣き声が聞こえ、人々は気味悪がった。噂を聞いた米野村(北隣の村)のお坊さんが「この石は築城の時に落とした石で、役に立てずに厄介者扱いされている怨念が出てきたのであろう」と言い、石でお地蔵さんを造り自分の寺に持って行く事にした。
 お地蔵さんができたので、舟に乗せて米野村へ運ぼうとしたが、何度やっても舟が沈んでしまう。
 「これはお地蔵さんがここに居たいのだろう」ということになり、村の観音堂に祀られた。宝暦5年(1755)11月29日のことである。

※築城の時に落とした石
 運搬中に落としてしまった石は、落城に通じる縁起が悪い石としてそのまま放置される習慣だった。運搬経路になった近くの神社や寺などに保存されていることが多い。





 2023/04/15