中野外新田の氏神

八 剱 社
 このあたりは江戸時代初期に開発された中野外新田である。この新田は笈瀬川(現:中川運河)を挟んで二つの集落があり、それぞれに氏神があった。八剱社は東の集落の氏神であった。




 百曲街道の少し北に鎮座する八剱社は、村絵図に中野外新田の氏神として記載されている。
 この村には神明宮(現:中野新町の神明社)も氏神と記載されているが、それぞれ笈瀬川を挟んだ東と西の氏神であった。旧社格は村社である。

 創建の時期は不明だが、1600年代半ばに編纂された『寛文村々覚書』に「社 弐ヶ所 内 神明 明神」と書かれている。この明神が八剱社なので、寛永年間(1624~44)に中野外新田が開発された頃に創建された可能性が高い。

 境内には秋葉社が鎮座し、「神松樹」と刻まれた石碑が残っている。かつては御神木の松があったのだろう。


『中野外新田村絵図』




 2024/01/19